今月(2019/8)は「最善」ということについて考えてみたいと思います。
全てのことは最善のために起きる、と思ってはどうでしょうか。
悪いことだってそれがその時の最善だったのかもしれないし、起きてしまったことはしようがない、その後にどう行動するかです。
それでも最善の上にも最善があります。
決して安易にあきらめずに人命を尽くす努力をしましょう。
業務上の判断の悩み
皆さんには、各々の立場において、それぞれの責任の中で判断を下し、日夜仕事に取り組んで頂いております。部下から常に判断を求められる立場の方もいれば、その都度一人で判断してやっていかなければならない方もいらっしゃいます。
さらに、真面目に業務に取り組んでいらっしゃる方ほど、その判断が正しかったどうかいつも気になるところかと思います。真面目に考えれば考えるほど決断がつかず、結局、実行の時機を逸してしまうという羽目に陥ったこともあるのではないでしょうか。
悩んでどちらともつかずになるなら、適当にでもどちらかやっておけばよかった、どうせ確率50%だったし、なんて、後悔してしまったこともあるのではないでしょうか。
全てのことは最善のために起こる
そんな時、考え方ひとつでとても気が楽になることがあります。
「全てのことは最善のために起こる、Everything happens for the best.」
という言葉は聞いたことはありませんか。
若しくは、
「起きることに全て意味がある、Everything happens for a reason.」
皆さんの人生に起きる様々なことは、必ず何らかの意味があり、すべては自分にとって必要なことである、という考え方。
皆さんが仕事で上手くいくのも、失敗するのも、窮地に陥るのも、損害を出してしまうのも、褒められるのも、怒られるのも、すべては自分のために必要なことであり、それは最善の出来事であると受け入れる。
こういう考え方を自分のものとすることができれば、これから何が起こっても皆さんはそれを乗り越えられることができます。なぜなら、すべての出来事は、皆さんにとって最善をもたらす出来事なのですから。
ものは考えよう
仕事をしていると様々な悪い場面に遭遇します。
チョー最悪、人生最悪の出来事!!!…なんてことも、実は本当に悪いことはまだ起こっていなかったのかもしれません。本当はもっと悪いことが起こったかもしれないけど、これぐらいで済んだのだから、この状況下では最善だったのではないか。
その出来事を最善とするかしないかは自分次第。
それから何かを学んだり、得たりするのも自分次第、
そこからどう行動を起こすかも自分次第。
そして、「最善を尽くす、Do my best」
ものの見方
これは、物の見方のことを言っているのかもしれません。
同じ物事を、表からみるのと、裏からみるのと、当然ながら180゜違います。
どうせなら、光の当たる方から見てみませんか。
起きてしまったことは、どんなに悔やんでも後悔しても取り戻せないし、クヨクヨ考えても物事は変わらない。苦しさや辛さというものは自分の心の中で起こっていることであり、物事をどう捉えるかは自分の心の自由です。
ですから、光の当たるほうから物事を見ることで自分の気も変わり、そのうちだんだんと自分を取り巻く環境も良い方向に上向いていく気がします。
気は心から、ってやつかもしれません。
以前お話ししたように「今という瞬間を生きる」ことがとても大事になります。
今を生きた自分のその判断、出来事は最善である、と捉えることができれば、最初に書いたように、自分の仕事に対して余計な悩みを抱えなくても済む、と思うのです。
最善の上にも最善がある
最後に、もう一つ。
「最善の上にも最善がある」
会社というものは、何事に対しても最善と考えてやっているだろうが、お客様の立場からみるとまだまだこうして欲しい、ああして欲しいという希望が出てくるのも、また当然であり、私たちは最善の上に最善を積み上げていくことを、永遠に続けることが大事である。
つまり、「最善」という言葉に安易に逃げこまないで、ということだと思います。
仮に、何も考えない人が「すべてのことは最善のために起きる」と開き直ると、あっという間に思考停止に陥ります。
最善の上にさらに最善があるくらい?ですから、普段我々には最善を尽くす努力がまずは不可欠なのであり、その人命を尽くした結果が「すべては最善のために起きる」ということに繋がる、のだと思いませんか。・・・