青い空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社員時代に社員の皆さんにお送りしていたレターからです。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと送っていました。引き続き、日々の思いをつらつらと書いております。皆さんからご意見も頂ければ嬉しいですので、よろしくお願い致します。

天気は悪い、のですか(2022/7号)

今月は「天気は悪い、のですか」というお題で、私見を述べてみたいと思います。

皆さんは、他人から「天気は悪いです」と言われた時、雨が降るって悪いことなの?と勘違いしてしまいませんか。本当のサービスとは取り繕った言い方や言い回しではなく、相手に真意が正確に伝わるよう、真心をもって行うものなのです。

リーズナブルとは

これは今年起こった事ですが、お客様がご注文しようとされていたワインがたまたま売り切れていたため、担当者が同じ五千円で提供できる「同等なリーズナブルなワインがございますが」とご案内したところ、「そちらにとって五千円はリーズナブルかもしれないが、客によっては経済状況、価値観が異なる」と、お叱りのメールを頂戴したことがございました。誠にもって恐縮至極です。辞書によれば、「リーズナブルとは安いではなく、合理的で手頃な、コストパフォーマンスの高い」とあります。しかしながら、お客様には「同じ安物を用意する」と聞こえてしまったのだと思います。好意が悪意として正反対の意味にとられてしまいとても残念です。

真意を伝えるためには

この時、一所懸命にサービスしようとした気持ちを、どうすればご理解頂けたのでしょうか。たぶん、「リーズナブル」という言葉の意味が曖昧だったのですね。外来語は日本語の中で定着しておりますが、異なった複数の意味を持っていることも多く、人によってとらえ方が曖昧で、プラスに聞こえたりマイナスに聞こえたりもします。

また、お金が絡むことで「リーズナブル➡手頃➡安い➡貧乏くさい」と、連想し勝ちです。私はその場にいたわけではないので詳細はわかりませんが、この時は「ワインの品切れをお詫びすると共に、より価値が高いものを同価格でご提供させて頂きたいのですが」とお聞きした方が、お客様には受け入れやすかったのかもしれません。

自分の価値観と尺度

人はそれぞれで、ものの感じ方や価値観が異なることは、皆さんよくよくご存知の通りです。ただ、そうはわかっていながら、常日頃は自分の尺度だけでものを判断してはいないでしょうか。相手が家族や友人といった内々であれば、自分たちの尺度、価値観を分かり合っているので表現が曖昧でも通用するし、むしろ曖昧の方が良い場合すらあります、阿吽の呼吸ってやつですね。

サービスに曖昧さは不要

ただ、お客様となるとそれが通用する場合としない場合があり、基本的には通用しません。「トイレはどっち?」と聞かれて「あっち」で済む相手と済まない相手と、言ってもよいでしょうか。私たちサービス業にとって、それが全てではありませんが、ものを正確にお客様に伝えることは一つの大きな役割であり、お客様も当然にそれを期待されていらっしゃいます。サービスに曖昧さは不要です。言葉で説明してわからなければ、表情や仕草、あるいは物や身体を使ってでも、正確にお伝えし理解してもらわなければなりません。私たちはそれを怠ってはいけないし、そういう期待に応える努力をし続けなければなりません。

慇懃無礼な謝罪

曰く、「言葉が足りず失礼しました」「誤解を招く表現をお詫び致します」・・・

私たちは丁寧にものを言おうとするあまり、へりくだったり謙譲するような表現を多用することが多々あります。実は、これらは本当の謝罪にはなっておりません。

下手をすると慇懃無礼ですらあります。皆さんは「何を飲みますか」と聞かれた時、「お茶でいいです」と答えますか、「お茶がいいです」と答えますか。よくよく聞けば「お茶でいいです」というのは相手に失礼な表現です。そんなことの積み重ねが相手との意思疎通の齟齬(そご)につながるのではないでしょうか。

取り繕うことで本質を見失わない

取りつくろって表面的に丁寧に言おうとすることで、かえって本質を見失わないようにしなければなりません。声に出して発信する前に、もう一度相手にとってわかりやすい表現になっているかどうか確認してみて下さい。それは誤解を生む表現になっていないか、聞いた人はそれをどう感じるか、客観的な情報と自分の意見を混同していないか、そして嘘は言っていないか? 相手に理解してもらうために、言葉の数を惜しんではいけません。稚拙な表現しかできなくとも自分の言葉を尽くすことが、相手に対する誠意です。