青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

人はそれぞれ、もいいけれど(2024/4/17)

すっかり春めいてきました

ここのところすっかり春めいてきましたね。一昨日などは夏のような陽気でした。街中のソメイヨシノは葉桜となり、桜吹雪が盛んに舞っています。春のフィナーレを飾る八重桜が隣の家にありますが、既に大きな花を咲かせ始めています。人生の新しいスタートを切られた皆さんはもう新しい環境に慣れましたか。戸惑うことだらけでしょうが、日々を楽しんで前を向いてくださいね。

さて、世界では中東がキナ臭くなってきています。武力の応酬がエスカレートしつつあり、世界中が固唾を飲んで見守っています。お互いが長い歴史の中で自分は正しいと信じており、その周辺国も各々の立場、理屈から正しいと言っています。日本と違いディベートの国々ですから、正しいと言い続けることは大事なのでしょうね。

人はそれぞれとは

そんなニュースから連想し思い浮かんだのは、最近よく言われる「人はそれぞれ」。肯定的な言葉で使われることが多いのですが、ちょっと考えてみました。

最近の日本では個が尊重されています。人はそれぞれで、個性が大切にされます。その結果、何が正しいかという突っ込んだ議論は曖昧になりがちです。でも、誰もが皆正しいということはありません。何が正しいか、議論がぶつかり合えば、傷つく人もいるし、妥協も必要です。でも、ぶつかり合うことでこころは鍛えられます。「人はそれぞれ」と避けていては鍛えられません。特に、若いうちは正面から人と向き合うことが大切では、と思ったところです。

個性の尊重

日本では、ゆとり教育に続き、個性を伸ばす教育を受けた皆さんがZ世代と呼ばれ、社会の中核を占めています。彼らに対し、個性の尊重が最重要と「人はそれぞれ、何が正しいということはない、みんな個性なんだから」と、腫物に触るような扱いも見受けられます。会社では、労働人口の減少、働き方改革などで労働力が絶対的に不足し、若い人に何か言って辞められては困る、というのが本音です。確かに、高度成長期の24時間働けますか的な、個性よりも協調性、全員一丸となって一つの目標に向かって猪突猛進、休みなんか関係ない、そこに仕事がある限り365日24時間頑張ろう、というのはもう過去の遺物です。反対に今は、一人一人の個性を生かそう、否定よりも肯定、褒めて伸ばそう、よくできたね、さあもう少しだけ頑張ろう、無理しなくていいよ、です。何が正しいかなんて、価値観の多様化を否定するから決めつけてはいけない、一方的な押し付けはいけない、と言われます。

会社にとって正しいとは

一方、会社を例にとりますと、会社は利潤を追求する組織ですから、都度方針を決定し前に進まなければ、倒れてしまいます。各々の会社にとっての「正しい」を曖昧にはできません。「人はそれぞれ」でありません。では誰が正しいと決めますか。社長が一人で決めますか。数人の組織ならいざ知らず、数十、数百、数千人となった時、その一人の知識、経験、思考だけで決められますか。代表だからと、わかりもせずに決めれば、独善や独裁が生まれるだけです。

組織と個人の切磋琢磨

確かに、組織では最後にはトップが決定します。ただ判断に至る前に、各部署、各レベルにおいて正しいとは何か、議論を積みあげます。その段階で、組織と個人にせめぎあいが生まれます。人それぞれだからしようがない、とは避けられません。自分と折り合わなくても、最後には自分を曲げなくてはいけません。まさに共同体と個人の切磋琢磨です。でも、そんな面倒や没個性はイヤとなった時、転職すごろくが始まります。確かに、自分の考える正しいを会社が理解してくれない事を受け入れがたい、という気持ちは理解できます。とはいえ、そんなあなたを丸ごと受けとめてくれる組織もそうそうはありません。

傷つくことで鍛えられる

組織の「正しい」は、そういう共同作業を通して醸成されていきます。その方法論や過程にはいろいろな問題はあるかもしれません。そして、その過程で個人が否定され、傷つけられることも避けられないかもしれません。ひょっとすると、ボロボロになってしまうかもしれません。ですから、傷つくことを避け「人はそれぞれなので個性を大事に」と、衝突しない生き方もあると思います。ただ、それでは心が鍛えられないのではないでしょうか。確かに傷は痛いけど成長します。筋肉だって鍛えることで細かい傷がつき、新たな筋肉が育つのです。年をとっても、身体を鍛えれば筋肉がつきます。ただ、こころの筋肉はどうでしょうか。まだ若くピュアなこころは、若いうちに鍛えないと、将来フニャフニャの芯無しになってしまいます。年を取ってから新たにこころを鍛えることは、長年染み付いたものが邪魔をして容易ではないのです。

こころの筋肉を鍛える

ですから、若い時にこころの筋肉を鍛えた方がよいと思います。いつも自分が正しいとは限りません、何が正しいか議論の結果、妥協することは逃避ではないし、自分を変えることも恥ではありません。それより、若いうちから「人はそれぞれだから」と、議論しないのはもったいない。柳のようにしなやかなこころを目指しませんか。