青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

タテ社会の弊害(2023/12号)

今月は「タテ社会の弊害」というお題でお送りさせて頂きます。

日本の社会では、上下の関係に対する気遣いが行き過ぎて、無関心な指示待ち人間が増えてしまっているようです。また、上司もどうしたら良いのかわからず、無用な強がりからパワハラを引き起こしてしまっています。そんなつまらない気遣いや忖度などはやめて、もっと開かれた関係を構築していきませんか。

過度な遠慮を反省

年の瀬を迎えるに際しツラツラと考えていたところ、これまでの私の44年に亙る会社員人生の大きな反省点に思い至りました。最近の某歌劇団の騒動に触発されたのかもしれませんが、「これまで自分は、会社や上司に過度に遠慮してきたなぁ」というものです。決して昭和という時代のせいにはしたくはないのですが、社会人になった当時は上司の声は神の声に等しく、会社の方針は絶対であると思っておりました。与えられた仕事には必死に汗を流して取り組んできましたが、こと自分より上に対しては思考停止に陥っていたと思います。会社が決めたことだから、上が言うことだから、と無邪気にそれを免罪符にし、都合よくスルーしてきました。突き詰めれば、そこに自分の社会人としての限界や至らなさ、或いは悔いが凝縮されているように感じます。

行き過ぎた上下関係

そもそも日本には、1500年前に伝来した孔子儒教の考えが深く根付き、「上下の秩序」に対する関係が重視されてきました。島国という閉鎖された土地で、ほぼ単一の民族の中で、争いを避け上手くやっていくためには必要な知恵だったのかもしれません。ただ、明治以降海外と向き合うようになり、それは挙国一致といった有無を言わさない全体主義へと変化していきました。戦後高度成長期に入り会社人間が多数生まれるようになると、今度は会社というものが至上命題となりました。下は上からの指示待ち人間として思考停止に陥り、さらには出世や昇給のための過度な忖度(そんたく)、阿り(おもねり)が生まれました。どんな指示でも私を殺して無条件で受け入れ、それを達成するために全力を尽くす。それが、最も素晴らしい社員像とされました。これまで、過去形で書きましたが、実はこういった考え方はIT社会と言われる現代でも未だに端々に脈々と受け継がれています。近年では、諦めとか無関心という言葉に置き換わってきていますが、嫌々であっても無条件で受け入れていることに変わりはないと思います。

上司としての在り方がわからない

一方、上の方々はどうでしょうか。年功序列で上がっただけ、たまたま人材不足で偶然に、等々いろいろ事情はあると思います。ただ、突然降って湧いた立場に戸惑い、どうしてよいかわからない、という方が実は多いのではないでしょうか。上なのだから何か指示をしなければならない、教えなければならない、と焦って意味のない仕事を指示し、無分別な指導を行ってしまう。言うに事欠いて教育という名の人格否定等々…。それらは、意図しなくても立派なパワハラです。ですが、下の人たちを束ねる立場となったからには、皆の期待に応えなければなりません。少人数の組織であっても、その組織がどこに向かうのか指し示すことが求められます。そう言われ誰もがプレッシャーをかけられますが、実は誰しもが答えを分かっている訳ではありません。そんな時はどうか焦らずに、決して知ったかぶりをせず、強がらず謙虚に思いを吐露し、皆と一緒に悩み、その時その時の答えを模索し続けていって下さい。

人間としての尊厳を守る

 一方、会社組織はそもそも人間の集合体です。人間にはどんな方にも人として最低限の尊厳があります。能力や見た目が異なっていても、人間であることには変わりません。ですから、会社員である前に人としてのリスペクト、尊敬がなされなければなりません。動きが鈍くとも年長者には人生を長く生きた経験と知恵があり、先(せん)達(だつ)に敬意を表さなければいけません。近年、会社は年功序列から実力主義になってきていますが、会社人としての業務能力と人間としての評価を混同してはいけません。繰り返しますが、会社人である前に皆は人であり、人間として平等なのですから。

開かれた会社へ

私は、そういう人としての礼節という最低限基本的な部分を守った上で、これからの会社はもっともっと上にも下にも開かれていくべきだと思います。タテ社会の最も大きな弊害は、組織の血液である「情報」を止めてしまうことです。情報が止まり徐々に壊死していくような、つまらぬ弊害を決して繰り返してはいけません。上であっても下であっても、何でこの仕事はこうするのか、こうしても良いのでは、と忌憚(きたん)のないコミュニケーションがいつでもできるようにしたい。仕事の上では遠慮をしない、はっきりと意見を言いあえる組織でありたい。「忙しそうだから」という配慮も、独り善がりの忖度かもしれません。

忖度などは無用の気遣い

そもそも「忖度」なんていう過度な気遣いは仕事には不必要です。ゴマすりのような要らぬ配慮は止めて、お互いに余計な気遣いをせず、また気遣いをされずに真摯に仕事に向き合える組織であって欲しい。相手に「どう思われるか」なんて心配や躊躇する気持ちを振り切って、思い切って話をしてみましょう、きっと皆さんが心配しているほど相手は気にしていないはずですから。