今月は、「知ろうとすること」というお話をお送りさせて頂きます。
仕事において、業務に関してもっと知ろうとしない、また知っているのに知らせようとしないということは、不作為の作為となります。常になぜなんだろうと考えて知ろうとすることが、自分自身の成長とその取り巻く環境を変えていくきっかけとなるのではないでしょうか。
知る必要なんかない?
そもそも、誰しも入職したての頃は事業所内の右を見ても左を見ても知らないこと、分からないことだらけで、知るべきことが山ほどあろうかと思います。一方、中堅やベテランの方であっても、自分の業務はどうしてこういうやり方なのか、ましてや他部署はなぜああやっているのか等、改めて問われると知らないことが意外と多いのではないでしょうか。そんなことは考えたこともないし、知る必要も感じたことない、よくわからないけどこれはこうするものだ、こうしておけばいいと昔教わった、聞いたけど「余計なことをつべこべ言わない」とご指導された?方もいると思います。果たして「余計なこと」と言われることを、わざわざ知ろうとする必要はないのでしょうか。それとも、誰かが教えてくれるのを待っていればよいのでしょうか。
知ることで変わる
いやいや、自分の業務すらわかっていないのに他人の業務まで知る必要はない、という意見もあります。逆に、自分の業務を知るためには関連する業務を知ることも大事、ともいえます。なぜ自分はこういうやり方で業務をやっているのか、この業務は他部署とどう連係しているのか、そして事業所や会社にどのように寄与しているのか、そもそもこうやっているのはどんな経緯、理由なのか等々・・・知らないことがいっぱいあります。私は、そういうことを知ろうとすることが現状を変えることに繋がっていくと思います。
知ることで自らを変えていく
知ることで人間は考えます。「人間は考える葦(あし)」とも言われています。「なぜ?」と考えるからこそ人間であり、疑問が現状を見直すきっかけになります。知ろうとすることで自分の可動域は拡がり、活動範囲も広がります。知ろうとしない人は、知ってしまえばパンドラの箱を開けてしまうようで怖いのでしょうか。でも、どうせ同じ時間を仕事で過ごすなら、嫌々(いやいや)過ごすより楽しく過ごしたい。会社では、拗ねて(すねて)斜に構えていても誰も声なんかかけてくれません。折角なら、もっと素直になって、正面から仕事に向き合って良いのではないでしょうか。自分じゃなくて誰かが変えてくれるかもと期待していても、たぶん何も変わらないと思います。ですから、自らの環境を変えるために自ら知ろうとすることに挑戦しませんか。
知る義務、知らせる義務
憲法では「国民の知る権利」を保障しています。片や会社には「知る義務、知らせる義務」があります。私たちは仕事として知らなければいけないし、知らせなければいけません。ちょっと一部を知ったぐらいで「我、事足れり」と満足していてはいけません。
表面だけでなく「それはなぜ?」という向上心を持って知ろうとすることで、はじめて組織の一員としての本当の義務を果たすことになるのではないでしょうか。
不作為の作為
上司は部下が知ろうとすることに対して、「知らなくてよい」と一方的に決めつけてはいけません。「いちいち聞くな、背中を見ろ、黙って盗め」というのは、今どきあり得ません。それでは、何ら上司の義務を果たしたことになりません。当然に、企業には責任範囲に応じた秘密事項が多々あり、何でもかんでも皆に詳らか(つまびらか)にすることなどはできません。ただ、知る必要がないのであれば、どうしてそうなのか、きちんと説明することが大切です。知ろうとしていることに対し、いかに分かり易く丁寧に教えられるかは、上司にとってひとつの大きな役割です。あえて厳しく言えば、「知ろうとしない、知らせようとしない」ということは、「不作為の作為」(期待されていることをやらないことを積極的に行う)、或いは業務のサボタージュといっても過言ではないと思います。
深く知る
皆さんには、与えられた知識や情報、目の前に見えるものだけに満足せず、もっともっと自分と自分の業務環境を良くしていくため、広く深く貪欲にいろいろなことを知ろうとして頂きたい。そして、なぜなのか考え続けて下さい。それは社会人としてとても大切なことです。上司の方は、知ろうとする部下に対して、まるでお客様に奉仕するかの如く、最大限のバックアップをお願いします。
"長"という肩書がつく方達へ
最後に「長」と肩書が付く方たちに一言。
ご自分の部署、事業所の人や物に関して、あらゆることをもっともっと知ろうとし、知ってください。どんな部署でも「長」は皆さん一人だけです。全体を見渡す立場の方は他にいません、皆さんは余人をもって代え難い存在です。ご自分の組織の人、物に関する過去、現在、未来について、知ろうともせず、考えもしない、意見を発信もしないということは、会社のみならず仲間でもある事業所の皆さんに対して、「不作為の作為」になることを決して忘れないで下さい。私は、そんな見ざる・言わざる・聞かざるような方は歓迎したくありません。