青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

思いを伝えるのはむずかしい(2024/4/5)

今年の春は

どうやら花粉のピークも過ぎたようで、ここのところ、毎朝の鼻水とくしゃみもだいぶ減ってきました。とはいえ、まだまだムズムズし、目も痒い。今日の天気予報では東京地方の桜は満開ということですが、東京の南のはずれに位置する我が家の周りは、まだ六分七分ぐらいの感じです。ここのところスカッとしない曇り空に桜は白っぽく映り、なんだか今一つパッとしない感じの春です。

思いを伝えるむずかしさを感じました

今週の静岡県知事の辞任と、高等裁判所判事の罷免のニュースを聞き、思いの伝え方の難しさを改めて感じました。普段から、連れ合いには「ちゃんと言わなければわからない」と注意されている私です。一つのことを正確に理解してもらうためには、どれだけ丁寧に言葉を添えなければいけないか。黙っていても思いは伝わりません。理解を得るための前準備の大切さ。さらに、自分の発言に対して、大人としてちゃんと責任が取れるよう伝えなければいけない。そんなことを考えさせられました。

 

失言と老害

4/2に静岡県知事が辞意を表明しました。ようやくというべきか、とうとうというべきか、県民の皆さんは何となくホッとしているのでは、と想像に難くありません。直接の原因かどうかわかりませんが、県庁の入庁式の発言に端を発しているのは間違いないようです。辞任を表明した記者会見では、あれは自分の非ではなく、切り取った報道のせいなどと、ご自分の発言に謝罪や撤回はされませんでした。ご本人の意図した通りに受け取られなかった、ということですが、誰が聞いても職業差別と受け取られる言い方でした。県のトップとして、新しく仲間になった方々を積極的に鼓舞しなければいけない、という思いがあったことは想像できます。でもはっきり言って、言い方を間違っています。それを平気な顔して認めず、別なところに原因を求めました。他人事とは思えない、老害の典型です。それを本人は気が付かない、周りの誰も教えてくれない、まさに老いたる裸の王様です。・・・自分の思いを正確に他人に伝えることの難しさ、加えて老害、ほんとに痛々しく拝見しました。

一つ言ってわかるわけない

そもそも、一つ言ったら一つ伝わる、なんてゆめゆめ思ってはいけません。一つ伝えたかったら、どれだけ言うか、ぐらいです。夫婦など典型ですが、何十年一緒にいたのだから阿吽の呼吸だ、言わなくてもわかるだろう、なんて甘えてはいけません。というか、誤解してはいけません。年を重ねたからこそ、むしろ昔より丁寧に、思いを伝えることが大切です。何年も経って、いつまでも昔と同じではないのです。それは、会社や社会生活においても同じことです。だんだん偉くなり、別に言わなくもわかるだろう、昔言ったはずだ。そんな裸の王様にだけは決してなりませんように。

貝になってはいけない

それでは、余計なことは言わない方が良い、のでしょうか。人間は考える葦、です。その考えを、何らかの形で発信しなければ伝わりません。人間は「人のあいだ」と書きます。たった一人で孤島で生きているなら関係ないでしょうが、人は人のあいだで必ず誰かと関わり生きています。ですから、自分の思いは発信しなければ伝わりません。伝わらなければ関係は築けません。リーダーになれば、周りは考えを聞きたがります。それを、誤解を恐れて発信しない、というのは本末転倒です。間違って伝わって欲しくないのなら、事前に下調べをする、原稿を作っておく、話す練習をすればいい。そんなの阿保らしいかしら。面倒ですが、相手に正確に思いを伝えるということは、それだけ難しいことだと思います。丁寧に丁寧に、誤解を恐れずに、こんなのわかっているだろうではなく、難しい横文字や身内用語はきちんと噛み砕き、何度も何度も、繰り返し繰り返し、・・・

期待に水差すもの

4/3、高等裁判所の判事がSNSへの不適切投稿で罷免されました。退任意思を示した間際の罷免ということもあり、処分の多寡を巡って喧々諤々の議論が起こっています。量刑については専門家に任せるとして、この件は思いの伝え方に問題がありました。裁判官という公的な立場にありながら、私的に事件にかかる思いを発信。その内容は不適切であったとご本人も認め、「公正無私な裁判官」に期待する国民の思いに水差すもの、と判決されました。社会人が自分の思いをどう伝えるか、ということが提起されています。

思いは責任をもって話す

思いを伝えたいからと、自由奔放に好き勝手に発信して良いでしょうか。幼子ならいざしらず、大人は人との関係において社会性というものが前提であり必須です。社会性とは、自分できちんと責任を果たせる範囲で、発言しなければいけないということです。言論の自由は社会性の中で存在します。無責任で無分別な発言は、大人として長年積み上げたものを一瞬にして消し去ってしまいます。だからこそ、一思いに一気に頭に浮かんだことを話すのではなく、丁寧に丁寧に噛んで含めるように話す。そうすることで、自分の責任の範疇で話すことができます。私のようなせっかちにはちと大変ですが、これも修行と考えて頑張りましょう。