青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

役に立つよろこび(2014/2/14)

新聞記事を読んで

今日は2/14バレンタインデーの日ですが、私にとって長閑な暖かな日という以外、特に変わりはないようです。さて、今朝の朝日新聞の記事を読んで、ちょっと考えさせられたことがあり、意見を書かせて頂きました。

記事は、私の視点というコラムに「「受け止められる」体験を」という題で、東京家政大学短期大学部准教授の榎本眞実氏がお書きになったものです。

『「オレは役に立っていない」。筆者が幼稚園の担任をされていた頃に、学芸会の物語を子供たちと考えていた時、一人の五歳児!がつぶやいた言葉です。まず、五歳児が役に立っていないという概念を持つことに驚き、そして反省したそうです。子供にとって役に立つ喜びとは、自分の力を発揮したことで相手が喜ぶ、困っている相手を助けることができて嬉しい、と感じること。相手との関係が結ばれ、そこから得られる満足感、達成感を感じることであり、「一人一人がかけがえのない存在であること」をしっかりと心に刻み、大人が折に触れてメッセージとして伝えていくことが大切。そうした小さな積み重ねが、揺らぐことのない「役に立つ喜び」につながっていくのではないだろうか。』という内容です。

 

組織の一員として

 これは幼稚園児の話ですが、社会の中の組織の中の一人として置き換えてみても、そのまま通用しそうです。会社や組織の中で、役に立たないつらさや自信のなさを感じる人たち、そういった自己肯定感の低い方たちも同じではないでしょうか。生物として集団で生きることを選択した人間というものは、その一員として生きていくためには、常に自己肯定感をブラッシュアップしながら、持ち続けることが大事なのではないか、ということに気が付かされます。幼少期ももちろん大事ですが、人間は大人になっても自分を認めてもらいたいのです。ですから、会社組織にいる皆さんたちには是非それを忘れないで欲しいと思います。そして、その組織のリーダーの方たちですら、自分が進もうとしている方向が正しいのか否か、常に自己肯定感に悩まされ続けていると思います。「子供ではないのだ」と怒られるかもしれませんが、上下の関係なく、周りの人から声に出して「役に立っているよ」というメッセージが発信され、それを受け取れることがどんな心強いことか、ということを忘れないでほしい、と思います。

卒業した人間として

 翻って、属する組織の一員ではなくなった、卒業した人間からしますと、その思いはさらに顕著です。周りからは、これまで頑張ったのだから少しゆっくりしてください、と親切に言って頂きますものの、まだ慣れていないせいもあり、もうあなたは結構です、と変に聞こえてしまうようなやっかい者です。これは、何かに貢献しなければいけないという思いや、存在を認めてもらいたいという思い、つまりは達成感や満足感への渇望の裏返しなのでしょう。組織の一員であれば、あえて構えなくても自分の居場所のようなものが構築できていて、そこでそれなりに達成感や満足感を得ることはできました。さらに、これまで幼き頃からこの間までずっと何十年間も、周りからなんだかんだと大切な人間として扱ってもらってきた、その反動かもしれません。その結果、世の中から自分という存在を忘れられる、という焦りみたいなものが生まれているのでしょうか。また、誰からも声をかけてもらえなくなる、というような恐怖を感じているのでしょうか。でもそれは、組織の衣を被って必要以上に肥大化していた過去の自分と今を比較するから、そう感じるのかもしれません。過去は過去でしかありませんのにね。

初心に帰って

 この記事を読み、相手から喜ばれる役に立つ喜びというものは、まさに自分の心持ち一つなんだな、ということに改めて気付かされました。ですから、幼き頃のように初心に帰り、人の目をいちいち気にせず、鯱張った鎧を脱ぎ捨て、もっとシンプルに生きてみることが大事なんだと。最近、ボランティアで美術館で来館者に作品に対する説明をやっているのですが、自分の拙い説明でも、ちゃんと聞いてくれ感謝してくれる方たちが、現にそこにいらっしゃいます。自分の中でこれはひとつのサプライズであり、自分が勉強して仕入れた知識が人の役に立ったという喜びでもあり、また相手の予想外のリアクションは新鮮な驚きです。組織というブランドに頼ることなく、素の個として感謝されることの喜びというものを、もっと純粋に楽しんでいければいいな、と思います。そして、「オレは役に立っていない」などと感じないようにいきたいものです。