青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

置かれた場所で(2023/3号)

今月は「置かれた場所で」というお題で愚考をお送りさせて頂きます。

今の自分の置かれた環境に不満があっても、まずは精一杯その場所で自分を生きましょう。過去や未来にとらわれないで、今の自分と向き合い、今自らができることを行うことで、きっと誰かが認めてくれます。それがきっと将来に繋がります。

「置かれた場所で咲きなさい」

「置かれた場所で」というと、皆さんご存じかもしれませんが渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という著書を連想させます。「自分が今いる環境に目を向けて今を受け止めよう、そこにいることを仕方がないとあきらめるのではなく一生懸命に咲こう、咲くとは精一杯頑張ることで自分も皆もが笑顔で幸せになること、自分が変わらなければどこに行っても同じこと等々」という内容です。

ここは仮の場所?

よく「置かれた場所」と聞くと、「ここは自分から選んだ訳ではない、自分は不本意であり、今は仮の場所なのだ」と言われる方がいますが、そこは誤解が無きよう、好むと好まざる関係なく「現に今自分がいる場所」が置かれた場所という意味です。また、以前にも書いたことがありますが、人間の価値はお寿司と同じで「時価」で計られます。過去の業績や地位は関係ありません。素のままで、今いる場所で今どうできるか、なのです。昔いくら偉かったからといって、その栄光はあくまでも過去のものであり、そういった過ぎ去ったものは一切捨て去らなければなりません(これを「放下着」(ほうげじゃく)と言うそうです)。逆に、今の自分に自信がなく、私には無理です、という方もいらっしゃいます。でも、そんなに自分を卑下する必要はありません。実は、人間の良いところと悪いところは表裏一体なのです。

今の自分に向き合う

ですから「今の自分にあるもの」だけに目を向けてみてはいかがでしょうか。あれもない、これもない、と他人と比較しても詮無きことではありませんか。隣の芝生は青く見えますし、全てにおいて高い能力を有する人などはおりません。どんな小さなことでも良いので加点法で自分をもう一度みてみれば、まんざら捨てたものではない自分がいるのではないでしょうか。意外とできるじゃないか自分、と励ませばいいと思います。タンポポは小さな野の花で豪華なバラの花にはなれませんが、逆にバラはタンポポにはなれません、タンポポタンポポとして精一杯咲けばよいのではないでしょうか。(決して誰かをタンポポだと言っている訳ではございません、悪しからず…)

果たすべき役割を果たす

 さて話は変わって、1961年第35代アメリカ大統領就任演説で、ジョン・F・ケネディは「国があなたに何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何をなすことができるか問うて欲しい」と演説しました。時節柄、「国のために」というと何か国防的な感じがしてしまうかもしれませんが、これは決してそういう意味ではなく、皆さんには何にでも受け身ではなく、まず自発的にできることを自らやって欲しい、ということです。皆さんが組織の一員として、組織が何かをしてくれるのを口を開けて待っているのではなく、組織の一員として自ら果たすべき役割を主体的に果たして欲しい。

翻って言えば、組織に動かされるのではなくて、どう自ら動くことができるのか考えて欲しい、ということなのではないでしょうか。

今置かれた場所でなすべきこと

その組織というものは皆さんにとっては会社であり、自分が置かれた場所であり、その置かれた場所から逃げずに自ら道を切り拓いて進んでいこう、ということだと思います。その時には、周りの目や世間の目は判断軸の外に置き、他人との比較ではなく、自分がどうしたいのかを主眼に据えて、人がどう思おうと構わない。そうして、この今置かれた場所で何かをなすことができたならば、将来仮に置かれた場所を変えることがあっても、新たな次の一歩を踏み出すことができるはずです。ですから、頼りない自分かもしれませんが、ありのままの自分で今を精一杯生きることが大事なのではないでしょうか。

誰かに認めてもらえば幸せ

「一生の間に一人の人間でも幸福にすることができれば、自分の幸福なのだ」と、川端康成はある本に書いています。自分の幸せを「他人と比較して自分はマシだ」というような相対的な比較で計ることは、他人の不幸と自分の幸せをバーターするみたいなもので、何か違うような気がします。万人からあれもこれも好かれず評価を受けなくとも、少数であってもちゃんと理解してもらって幸せになってもらえればよい、ということではないでしょうか。

良かった、ありがとうの言葉のために

サービス業に関わる私たちは、数多くのお客様の中の一人の方から、心から「よかった、ありがとう」と言って頂けることが、まさに「置かれた場所で咲く」ということではないかと思うのです。・・・