青い空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社員時代に社員の皆さんにお送りしていたレターからです。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと送っていました。引き続き、日々の思いをつらつらと書いております。皆さんからご意見も頂ければ嬉しいですので、よろしくお願い致します。

なんと、なるほど、ごもっとも(2024/2/21)

ヨイショの効用

「なんと、なるほど、ごもっとも」、「さすが、ごりっば、日本一」、「いえいえ、まだまだ、とんでもない」、これはヨイショの三段活用といわれています。会社員時代、私自身が客先に使っていた記憶がありますし、いろいろな方たちから使われたことも多々ありました。たいていの方は、ヨイショされているとわかっていても悪い気はしません。逆に「相手のためだから」と思い、はじめから厳しい否定から入ると、たいてい嫌がられ煙たがられます。人間分かっていても、否定されるよりヨイショされた方が気分が良くなります。それはなんでなのでしょうか。

ほめられたいという欲求

人間が集団で生きていくうえで、ほめられたいという欲求はとても必要で大切なことなのではないでしょうか。別な言い方をすれば承認欲求ということになりますが、もっとシンプルに自分自身を認めて欲しい。集団の中で「自分はここにいますよ、そして頑張っていますよ」とアピールしたい。そういう頑張っている自分を「すごいね、えらいね」とほめてもらいたい。あまのじゃくでなければ、ほめられることで元気が出ます。そもそも人間というものは、「ほめられて元気を出したい」のではないでしょうか。こう書くと、なんだかわんこちゃんたちと同じようですが、それが集団で暮らす動物の自然な欲求なのではないでしょうか。また、ほめるというと、幼児教育における「ほめて伸ばす」ということなのか、と感じる方も多いと思います。別の記事にも書きましたが、人間は幼児期だけでなく、青年になっても、中年になっても、いわんや老人期になっても、いつだって同じようにほめてもらいたいのではないでしょうか。確かに、幼児のように褒められて、やる気がモリモリ出て頑張ろうというパワー、というか勢いは多少衰えるかもしれませんが、どんなに年をとっても人はやはりほめられたいのです。

あんたは偉い

古い話になりますが、第二次大戦終戦後フィリピンルパング島に30年間隠れ住んでいた小野田寛郎さんという方がいらっしゃいます。とうとう発見されて帰国を果たした際、お母さんがおっしゃった言葉は「よう生きて帰ってきた、あんたは偉い」でした。シンプルな誉め言葉ほど、心に響くものはないと思います。ヨイショではなく、真剣にほめることの大事さを肝に銘じたい。どうせほめるなら、ぐちゃぐちゃと余計なことは言わない、まずは真剣にほめる。必要なら、ほめた後に注文は付けるようにする。家族だから、親しい間柄だから、年だから、と言い訳してあいまいにしてごまかさない。凄ければすごい、よくできたね、と心を込め恥ずかしがらずにほめる。それが、人間関係を上手にやっていくには、大切なことなのではないでしょうか。

コミュニケーション手段として

「なんと、なるほど、ごもっとも」、「さすが、ごりっば、日本一」、「いえいえ、まだまだ、とんでもない」。確かに歯の浮くようなヨイショ言葉ですが、考えようによってはこれも、ひとつの立派なコミュニケーション手段なのではないかしら、とも感じます。こういう言葉を恥ずかしがらずに使うことによって、相手に心を開いてもらう、そこからコミュニケーションが始まる、ということもありそうです。本来は、腹黒い目的のためのヨイショ言葉なのかもしれませんが、それを使う人の考え方ひとつによっては、それをプラスの方向に生かすこともできるのでは、と思います。たまには、自分に最も身近な人、例えば奥様に対して、こういう歯の浮くようなヨイショをしてみてはいかがでしょうか。勇気はいりますけどね。。。