青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

許す、許せる、許してやる(2024/2/27)

許すって

いきなりですが、今回は「許す、許さない」ということについて考えてみました。

一般的に「許す」という行為は、自分に対して直接利害関係があった中で、嫌な思いをしたり被害を受けたけれども、それを認めるということではないでしょうか。無かったことにして忘れる、という方法もありますが、普通はあったことは事実として認めたうえで、それ以上相手に対して追及しない、ということではないかしら。つまり、そこに「許せる、許すことができる自分」がいる、ということでもあります。


知っている相手を許せない

ただ、知り合いなど直接的に見知りする相手に対して、有限な時間を割き、自分の資源、能力を提供したにも関わらず裏切られた、と感じた時、人はそれを許せないし許さない、と感じます。さらに、○○までしてやったのに、自分の方が上なのに、とまるで恩を仇で返されたように、格下とみなしている相手から何の見返りもないのは許せない、とエスカートしていく方もいます。こういうのは、どちらかといえば自己中心的で自己愛の強めのタイプに起こり勝ちです。自分が得たものは手放したくないし、人に与えたくないという、ケチな人なのかもしれません。

自分の価値を下げるだけ

そうは言っても、「自分が一番だ」という心理的な立ち位置を高く保っていたいがために、相手を貶めて、許さない、というのは、結果的には自分自身の価値を下げるだけ、ということに早く気が付いた方が良いのでは、と思います。なぜ自分が許さないのか、許せないのか、許そうとしないのか、客観的に自分を見つめなおしてみた方が良いのではないでしょうか。自分の中の、ほんの些細なちょっとしたプライドや意地が、何かのきっかけで刺のように心の中に引っ掛かり、それが意味もなく膨らんでいってしまっただけではないのかと。

知らないけど許せない

一方、直接に相手を知らず、間接的に知っているだけなのにも関わらず、そんな相手に対し、あれこれと許せない方も、意外と多くいらっしゃいます。特に最近はSNSが助長しているのかもしれませんが、よく知りもしない方に対して、「あいつは許せない」と息巻いて、訳もわからずに匿名で誹謗中傷を繰り返したりします。こういうのは、どんな方なのでしょうか。たぶん、自分自身に自信のない方なのではないでしょうか。自分の大事なものを守り切る自信がないから、常に周り警戒している人。そんな人が、自分を直視することが怖いから、自分と向き合う代わりに、周りに対して怒りをぶつけているのではないでしょうか。そういう方は、常に誰かしら、怒りをぶつける先を探しているといってもよいかもしれません。ただ、SNS等でその怒りをぶつけると、一瞬は注目を浴びることができるでしょうが、あっという間に汐は引いていきます。ですから、本人の満足感は低く、また獲物を求めてさまよう、という悪循環に陥ります。自分と向き合わないため、その肩代わりとなるスケープゴードが必要だからです。

自分を見つめる

そういう方は、一度自分の今の行為を客観視してみてはいかがでしょうか。やっている行為が一体全体何の役に立っているのかと。「理屈じゃない、ただ許せないんだ」と吠えているうちに、「許せない」がいつの間にかに「許さない」に置き換わってしまっていませんか。「許そうとしない」自分になってしまっていませんか。自分を客観視するのはつらいし、それを認めたからといって、自信が生まれるわけでもありません。それでも、弱いなりの自分、等身大の自分でいいのではないでしょうか。そろそろ、身代わりを他人に求め、大したことでもないことを、影絵のようにいたずらに拡大してみるのは止めませんか。

怒りと許し

許せないと感じた時、人間は怒りを感じていることが多いです。だからといって、怒りというものを抑える必要はありません。頭にきたなら、その時にせいぜい目一杯怒れば良いのです。ただ、「怒りとカレーは一晩寝かせろ」と言いますが、一晩熟成することで人は怒りを客観視し、忘れることができます。ただその時、許せないという思いも、一緒に整理しないといけません。そうしないと、なぜ許せないのかわからないけど、許さないという思いだけが取り残されることになりかねません。怒りを忘れたなら、許せないというちっぽけな感情も、一緒に葬り去りましょう。

完全に与える

「許す」という言葉は、英語でforgiveです。「許せる」は、can forgive、「許してやる」は、will forgiveです。そして、forとgiveに分解すると、「完全に」+「与える」となります。つまり、許すということは、完全に与えるということです。そして、それにcanやwillをつければ、自分の意志によりそれができるということです。ですから、つまらないしがらみやプライドを捨て、自分に正面から向き合い、弱くとも本当の自分を直視する。そうすることで、私たちは完全に許しを与えることができ、次のステップに進むことができるのではないでしょうか。