青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

たまには客観視しよう(2024/3/1)

一昨日、外出先でいろいろなことを経験させて頂き、なるほどなぁ、といろいろ気づきが得られた日でした。そんな出来事について、つらつらと書かせてもらいます。

なんと採用面接を

ひとつ目、なんと40年ぶりに採用面接を受けました。ボランティアをさせて頂いている美術館で、次回の企画展の整理誘導アルバイトを募集していましたので、老骨でもお手伝いできないか、と受けさせて頂きました。ついこの間まで、面接して選ぶ側にいた人が、面接される側になりました。面接官の方も最初は「えっ」って感じで、なんとなくドギマギした感じで始まりました。面接を受けてみて、過去の自分が何気なく質問していたことが聞かれる側には意外と耳に残っていたり、逆に伝えておかなければならない、とお話したつもりが、話し方やタイミングによっては相手には伝わっていない、ということなど、新鮮な発見が多々ありました。入社面接は、たいていは1時間もない中での一期一会の出会いの場です。受験される方にもいろいろいらっしゃって、腰掛けもいれば、死ぬ気の方もいるでしょう。それでも、面接する側としては、どんな理由があるにせよ来てくれたからのだから、もっと真剣に対峙しなければいけなかった、と反省しました。齟齬や誤解が生じないよう、きちんと事前の準備をしなければいけなかった。なにせ面接する側は圧倒的な優位で、マウント取った状態から始まるのですから。それだけの自覚と責任をもって臨むのが礼儀というもの、と改めて強く感じました。

ギャラリートークに参加しました

もう一つ、同じように感じたことがありました。面接のあと、夜の飲み会まで時間があり、久しぶりの東京でしたので、国立近代美術館に寄ってみました。同館では、毎日ボランティアによるギャラリートークを行っており、参加してみました。説明員の一方的な説明ではない「対話による鑑賞」というやつです。私もボランティアとして同じことをやっていますので、興味津々でした。なるほど、こういうやり方もあるのか、ここはこうした方がよいのでは、と烏合の衆を必死にファシリテートするガイドさんを(同館ではそう呼んでいました)、客観的にみることができました。当事者である自分は必死にやっているため、まるで気が付かない事って結構あるのだなあ、と気が付かされたのでした。

組織に安住している自分を認める

二つ目。久しぶりの東京では、地元とは違い、スーツにネクタイ、マスク無し、とコロナ以前に戻った集団があちこちを闊歩していました。徒党を組み、嬉々として相手先や社内のこと、或いは昼飯のことなどを声高に話しながら歩く白シャツ集団、テイクアウトコーヒーを片手にカッカッと颯爽と歩き去るキャリア風等々、以前のあるあるがあちこちにありました。そんな皆さんをみて、最初は何となく眩しくみえたのですが、それはどうやら誤解で、単に午後の太陽がまぶしかっただけのようでした。ようく考えてみると、会社員という人種は皆同じような制服を着ていることで、その集団の一員として証明され、そこに安住できているわけです。スーツしかり、作業着しかり、Tシャツ+チノパンしかりです。会社という組織の中にいるときはわかりませんでしたが、外に出てみると、その安楽さがわかります。極端に言えば、一定の時間を提供し、同じ行動、同じ姿をしてさえいれば、組織が守ってくれました。いろいろと不満もありましたが、交通費やボールペンから始まり全ての経費、さらには社内の飲み会のお金まで、あらゆる利便を享受できていました。なんて素敵なのでしょうか。こうして日本は栄えてきたのですね。今組織にいる方は、せいぜいそのメリットを許容受したらよいと思います。

埒外に真剣に目を向ける

ただ言いたのは、自分たちの枠外、範疇の外にも関心をもってください、ということ。特に、生活に密着する住宅や、余暇に関連するサービスのお仕事では、組織の論理や理屈はお客様に通じません。組織人のお客様に通じても、組織に所属していない方には一切理解できません。当時、そんなことはわかっていたつもりでしたが、どこまで真剣に自分が埒外に向き合っていたのか、今思うと疑問です。「相手に思いを馳せたサービスを」なんて言葉は軽々にはできない、ということを改めて考えさせられた日でした。組織には組織の不満はあるかもしれませんが、外から見た貴方はいかに恵まれているか、または恵まれているようにみえるか、ようく考えてみて欲しいな、と思いました。

自分の立ち位置や立ち姿を受け入れよう

三つ目。その夜は、昔勤めていた部署や関係会社等でお世話になった皆さんとの懇親会でした。かってはいろいろと文句を言い合った相手ですが、利害関係の無くなった今、すべてが良き楽しい思い出です。かっての自分にはあまり余裕がありませんでしたので、どうしても周りの皆さんに無理を言ってきたように思います。むしろ無理を通すのが仕事なんだから、みたいなところもあり、決して良くは思われていないだろうし、そういう緊張関係であっていい、社内でべたつく必要はない、と考えるタイプの人間でした。ですが、酒の席とはいえいろいろと聞かせて頂く昔の自分に、肯定的なお話を聞かされると本当にうれしくなります。半分はヨイショかもしれませんが、もっとこうしておけばよかった、ああしておけばよかったと、今更ながら反省したりもしました。一番の反省は、自分の客観的な立ち位置、立ち姿というものを、もっと途中で素直に謙虚に聞いておけば、仕事や人生の展開も違ったのではないか、ということ。あんまり長いこと自分はこうだと思い込むのもいけませんな、たまには振り返りましょう。

こうやって、たまには自分自身や置かれた立場を客観視することが、次への成長ステップにつながるのだなあ、と感じた一日でした。皆さんもちょっと気を付けてくださいね。