青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

少しぐらいでわかった気にならない(2024/3/8)

分かったような気になっている

人間というものは悲しいもので、自分がその立場におかれてみないと本当の大変さはわからないようです。何となくわかったような気になっているのは、本やネットで知識として知っているだけなのではないでしょうか。仮に自分が昔経験したことであっても、のど元過ぎれば元の木阿弥、忘れ去ってしまっているようです。本当の意味で当事者になるのはどういうことか、しっかりと向き合って腰を据えて取り組まねば、たぶんいつまでたってもわからないのではないでしょうか。

どれだけ真剣に向き合ってきたか

たぶん誰しもが、その時その時、まじめに人生に向き合って生きてきた、と思っています。ただ果たして、自分と同じように周りに対しても、どれだけ真剣に向き合ってきたのでしょうか。自分に関係する周囲に対し、当事者として、また仲間として、どこまで真剣に意識を向けてきましたか。何となく表面的に外形的に、若しくは相手に対する遠慮から、わかっているような風のふりをして付き合ってきただけではないでしょうか。実は、それがとても失礼なことだった、ということに今更ながらに気が付き、愕然としました。向き合ったふりからの無理解。適当に相槌を打つことほど、相手を馬鹿にしていたことはありません。後悔は猿でもできます、しっかり反省しましょう。今からでも遅くはない。正面から向かいあえば、時間はかかっても取り戻すことはできます。過去を取り戻す、とまではいかないかもしれませんが、決してあきらめる必要はありません。いわんや、「年だから」と諦める必要もありません。

少しぐらいかじったぐらいで

一方世の中を見てみると、自分でやりもしないのに、データや他人の評判だけでわかったように気になり、それで物事を決めつけてしまうことがまかり通っている恐ろしさに気が付きます。自分で実際に嫌な思いをしたり、苦労したこともないのに、外目やウワサばかりを気にする風潮。頭の中だけで作ったような有形、無形のサービスが、見た目や聞こえが良い、というだけで評価される今日この頃。確かに人間は有限であり、すべてを自分で経験して自分のものにしてから、というのは無理でしょう。でも、すこしぐらいかじったぐらいで、分かった気やできた気になってはいけません。これは自戒を込めて。

それはあなたの実力ですか

何の因果か、株価が4万円を超えている今日この頃です。そんな中で、例えばマンションが億ションとして高く売れているのは、商品の実力ではなく、土地代や建築費が高くなっただけかもしれません。また、ホテルが高い料金が取れるのは、サービスが良いからではなく、たまたまインバウンドが大挙したからだけかもしれません。あなたの会社の株価が上がったのは、本当に自分たちの実力でしょうか。本来、社会経済が悪くなった時でも評価され続けるのが真の商品であり、サービスです。勝手な思い込みや観念ではなく、本当に使う人の目線で商品を作り込み、そして喜ばれるサービスを磨き続けていますか。

不断通りの生活を続ける

それは、私生活でも同じです。普段から絶え間なく途切れることなく、地に足の着いた生活を続けているからこそ、いざという時も揺るぎない家庭が築けると思います。(因みに、「普段」は「不断」とも書きます。) たまにちょっと触ってみたぐらいで、やった気、分かった気、できた気になってはいけません。やり続けること、継続するということは、賽の河原の石積み似ているかもしれません。積んでも積んでも崩れる、やっと積みあがったら、今度は雨や風、雪に崩される、そうして諦めないで積み続けることで、知らぬ間に堅牢な塔になっている。…今日が終わったと思って安堵した瞬間、また同じことが次の瞬間から始まります。途切れることのない繰り返しです。それは決して徒労ではありません。その繰り返しこそが、人間というものの営みなんだろうなと思います。年齢を重ねてもそれは同じ。人は動ける限りアクセルを踏み続け、前に進み続けることが大切なんだと、最近思うのです。(ちなみに、老人の暴走車の話ではございません、どなたもベタ踏みは禁止です。)