青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

悲しき政治に思うこと(2024/2/7)

世界がキナ臭い

最近新聞を読むと、政治に絡むキナ臭い話題が満載で、何とも嫌な気分になることが多くなりました。今年は、世界的にも政治の世界の変革期と言われていて、台湾の総統選挙に始まり、アメリカやロシアの大統領選挙などが控えています。二年目になったウクライナ侵攻や、同じく終わりが見えないガザ侵攻、中東のイラン問題、中国による台湾統一問題など、まだまだ国際的な紛争が絶えません。

裏金問題

一方日本では、自民党の裏金問題で国政がガタついています。どうみても、良き政治のために頂いたお金を不正にくすねた、と言われてもしようがないと思うような内容です。「私は少ないから問題ない、勘違いだった、事務処理を間違った」とかいって、政治資金報告書に修正記載すればそれで無税って、おかしくない?、と庶民は感じてしまいます。さらには、サル山のボスじゃないけど、そんな人が「派閥は政策集団なのだ」とかいって、裏金が作りやすい隠れ蓑をそのままに、別の看板に架け替えて済まそうとする図々しさには、あきれてしまいます。それでは、これまで派閥さんたちは、何か独自の法案の提出でもしたことがあるのでしょうか。言い方は良くないのですが、徒党を組んで数の力で何とかしよう、というやり方は、ヤが付く無法の集団と本質的に何ら変わりがないようにも見え、強弁すればするほど、不細工な喜劇のように見えてしまいます。

信仰集団問題

さらには、昨年問題となった、韓国発祥の信仰集団と政治との関係に関わる問題もあります。赤狩りではないけど、政治家一人一人に過去の関わりを確認して、少しでも関わりがあった政治家は役職から外して、ようやく一段落か、と思われていました。それが、ここにきてトップに問題があった、とのです。信仰集団内部の様々な問題に対して、まさに解散命令を出そうとしている省庁のトップたる大臣そのものが、過去にその集団との政策協定なるものにサインしていて、選挙のお手伝いまでしてもらっていた、というのです。昨年の赤狩りヒアリング時には「関係なし」と報告しておき、今となって「いろいろな人と会っているので記憶にない」とおっしゃっているそうです。信仰集団の方々の肩を持つ訳ではありませんが、選挙の時に電話作戦などでさんざんお世話になっておきながら、後になってそんなことは知らない、と言われ、挙句の果てに解散命令まで出すという神経構造に、あきれて物も言えないのではないでしょうか。翻って、そういう政治家は、私たち有権者=政治家を選ぶ立場の人たちに対し、いつの日にか、そんなのは記憶にない、約束など知らない、と手のひら返しすることがある、ということです。

ポピュリズムの台頭

今の時代、日本だけでなく、世界的にポピュリズムが台頭している時代です。ポピュリズムと民主主義の大きな違いは、少数者の意見に対する扱いの違いです。ポピュリズムは、大衆迎合主義ともいわれますが、支持が全体の半分を一人でも超えればよい、それですべてを代表することになります。一方民主主義は、過半を取ったとしても、少数者の意見にも尊重するというところが大きく違います。そもそも今は、政治に対する不信が根底にあります。ですから、それを打破するような政治家が熱望され、そうなりたい政治家はわかりやすい仮想敵を作り出し、その敵に向かって皆で一体となって立ち向かう熱量で支持を拡大していきます。ただ、その結果メジャーとなった瞬間、少数者の意見は抹殺され、本質的な問題は仮想敵の陰に隠れて先送りにされ、また、昔来た道をたどることになってしまいます。いまはネット社会として、様々な情報が瞬時に共有される時代になってきていますが、一方でそんな情報化社会から取り残されている人々も少なくはない、という情報密度がアンパンランスになっている時代です。ですから、少数意見というものも、本当に多岐に渡って多くなってしまっているので、民主的に解決しようとすると全員に満足感が少なく、それが政治不信に陥りやすいのだと思います。

政治不信の種

ただ、そんな悪循環をどこかで打破しなければ、日本や世界はどうなってしまうのか、本当に心配です。ポピュリズムは、経済の変動期などに勃興しやすいといわれており、これは経済の仕組みも含めた世界の大変革期の一端なのかもしれません。とはいえ、今の日本の政治家たちがばらまく政治不信の種というものは、本当に何とかしなくてはなりません。自分たちのアイデンティティーを、自ら否定するような行動をとっていることにまるで気が付いていないようです。たぶん一般人とは、そもそもの論理的な考えの組み立て方が違うのでしょうね。

サル山の論理は通らないということ

でも、どんな専門家でも気を付けなければいけないのは、自分だけにわかる考えや論理に酔わないこと、です。普通の人が聞いて「うん、そうだね」と思われることが、当たり前だけど正解なんだ、ということ。そんな当たり前をもって、私たちは若い方々の政治不信、無関心を食い止めて、参加を促していかないけません。少子化社会と合わせ、このままでは日本がやばい、と危惧してしまう今日この頃です。