青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

今どきの若者は(2022/3号)

今月は、私たちがよく口にする「今どきの若者は~、最近の年寄りは~」ということについて考えてみたいと思います。

最近は、年長者には若者が宇宙人のようにみえていますし、若者には年寄りが頼りがいのないようにみえています。お互いを理解するためには、はなから否定せずに一旦すべてを受け入れてみる、そして、相手にも相手の事情があると譲り合う精神を持つことが大事ではないでしょうか。

働く環境の変化

例えば私自身をみてみると、最近は街中でもまた職場でも、40年前に自分が社会人となった時からみると、いろいろなことが隔世の感だらけです。働き方、遊び方などの時間の過ごし方、ライフスタイルが全て違っていますし、その道具類も大きく替わってきております。週休は一日のみ、週日は朝早くから夜遅くまでが当たり前、ゴルフなんて高根の花だし予約すら取れない、パソコンは職場に一台あるかないかでせいぜいワーブロぐらい、携帯なんか無論なくて連絡は公衆電話、各種ハラスメントは指導方針として立派に通用していた時代です。

あなたは宇宙人?

そんな40年前を生きていた自分からみると、何かにつけて、つい今どきの若者は、と考えてしまいます。そもそも、まるで考えていることが理解できない、一体彼らは何者なんだ、まるで宇宙人と話をしているようだと感じることすらあります。また、当時は年長者が何だか今よりもっと立派に見えたし、年長者自身の社会とのつながり方、係わり方にもっと矜持を持っていたような気がします。しかし、自分がその年になってもちっとも成長は感じられず、若い方たちが「なんだ今どきの年寄りは~」というのもよく理解できます。40年前からみれば高齢化が急速に進み、同じ60才でも全然違う環境で生きておりますし、仕事や人生でのストレスのかかり方もまるで違うことも一因なのでしょうけど。

本当に昔の方が良かった?

ただ、「昔は良かった話」は似たような世代同士で愚痴を言い合いストレス解消しているぐらいまでが華ですが、これが本気となると話は違ってきます。本当に昔の方が良かったなら世界はどんどん退化しているはずですが、実際にはやはり進歩しています。ということは、昔は良かったと言っている人は時代の波に取り残されてしまった方、進歩についていけていない方なのかもしれません。

一旦受け入れてみる

考え方の基準は自分が絶対であり、自分に合わないもの以外はダメなものという、小さな小さな世界観で生きているのではないでしょうか。確かに、他人は他人であり、自分は自分です、何も同じである必要はまったくありません。それでも一旦は、他人の考え、意見を無条件で受け入れてみてはどうでしょうか。実際、食わず嫌いということもあります。

人の話をどう聞くか

世の中には、人の話を聞くときに否定から入る人と肯定から入る方とがおります。

どちらも一長一短があるのでしょうが、時代の変化が著しい現代において、否定から入ることで、有害な情報から自分を守ろうしているのかもしれません。ただ、逆に考えると肯定から入って他人の考えを一旦は丸呑みした方が、いろいろな情報や考え方が摂取できるとも考えられます。また、こうすることで時代の変化にもついていくことができるのではないでしょうか。宇宙人と言われる世代の考え方の一端が、少しは理解できるかもしれません。

否定から入ると、いつまで経っても相手を知ることはできませんし、さらに時間が経てば経つほど、どんどん間が開いていってしまいます。「今どきの奴らは」とふんぞり返っている小さな我を、しばし脇においてみてはいかがでしょうか。世の中自分が絶対正しいばかりではありませんから、素直な気持ちで受け入れてみることで、小さくても何らかの接点が見えてくるはずです。

お互い様の精神で

ただそうはいっても、やはり人には出来ることと出来ないことがあります。自分にできなければ、相手にもできないのかもしれません、お互いを受け入れ合った上で、結局それはお互い様、ということ良いのではないでしょうか。

自分と相容れないものを端から否定せず、それが存在すること自体を認める。他人という存在があり、異なった考えがあるからこそ自分がいる、それがなくなれば自分の存在もなくなると考え、互譲の精神を持って胸襟を開き、一旦は目線を下げて他人を受け入れてみませんか。・・・