青空と青い海、心おもむくまま

ご訪問ありがとうございます。このブログのきっかけは、もともと会社時代に社員の皆さんにお送りしていたレターでした。会社や人生の様々な悩みに対するヒントや、楽しく働くきっかけになればと書いていたものです。退職後も引き続き、日々の思いを書かせて頂いております。何か少しでも参考になれば幸いです。また、皆さんからご意見も頂ければ嬉しいので、よろしくお願い致します。

許す、許せる、許してやる(2024/2/27)

許すって

いきなりですが、今回は「許す、許さない」ということについて考えてみました。

一般的に「許す」という行為は、自分に対して直接利害関係があった中で、嫌な思いをしたり被害を受けたけれども、それを認めるということではないでしょうか。無かったことにして忘れる、という方法もありますが、普通はあったことは事実として認めたうえで、それ以上相手に対して追及しない、ということではないかしら。つまり、そこに「許せる、許すことができる自分」がいる、ということでもあります。


知っている相手を許せない

ただ、知り合いなど直接的に見知りする相手に対して、有限な時間を割き、自分の資源、能力を提供したにも関わらず裏切られた、と感じた時、人はそれを許せないし許さない、と感じます。さらに、○○までしてやったのに、自分の方が上なのに、とまるで恩を仇で返されたように、格下とみなしている相手から何の見返りもないのは許せない、とエスカートしていく方もいます。こういうのは、どちらかといえば自己中心的で自己愛の強めのタイプに起こり勝ちです。自分が得たものは手放したくないし、人に与えたくないという、ケチな人なのかもしれません。

自分の価値を下げるだけ

そうは言っても、「自分が一番だ」という心理的な立ち位置を高く保っていたいがために、相手を貶めて、許さない、というのは、結果的には自分自身の価値を下げるだけ、ということに早く気が付いた方が良いのでは、と思います。なぜ自分が許さないのか、許せないのか、許そうとしないのか、客観的に自分を見つめなおしてみた方が良いのではないでしょうか。自分の中の、ほんの些細なちょっとしたプライドや意地が、何かのきっかけで刺のように心の中に引っ掛かり、それが意味もなく膨らんでいってしまっただけではないのかと。

知らないけど許せない

一方、直接に相手を知らず、間接的に知っているだけなのにも関わらず、そんな相手に対し、あれこれと許せない方も、意外と多くいらっしゃいます。特に最近はSNSが助長しているのかもしれませんが、よく知りもしない方に対して、「あいつは許せない」と息巻いて、訳もわからずに匿名で誹謗中傷を繰り返したりします。こういうのは、どんな方なのでしょうか。たぶん、自分自身に自信のない方なのではないでしょうか。自分の大事なものを守り切る自信がないから、常に周り警戒している人。そんな人が、自分を直視することが怖いから、自分と向き合う代わりに、周りに対して怒りをぶつけているのではないでしょうか。そういう方は、常に誰かしら、怒りをぶつける先を探しているといってもよいかもしれません。ただ、SNS等でその怒りをぶつけると、一瞬は注目を浴びることができるでしょうが、あっという間に汐は引いていきます。ですから、本人の満足感は低く、また獲物を求めてさまよう、という悪循環に陥ります。自分と向き合わないため、その肩代わりとなるスケープゴードが必要だからです。

自分を見つめる

そういう方は、一度自分の今の行為を客観視してみてはいかがでしょうか。やっている行為が一体全体何の役に立っているのかと。「理屈じゃない、ただ許せないんだ」と吠えているうちに、「許せない」がいつの間にかに「許さない」に置き換わってしまっていませんか。「許そうとしない」自分になってしまっていませんか。自分を客観視するのはつらいし、それを認めたからといって、自信が生まれるわけでもありません。それでも、弱いなりの自分、等身大の自分でいいのではないでしょうか。そろそろ、身代わりを他人に求め、大したことでもないことを、影絵のようにいたずらに拡大してみるのは止めませんか。

怒りと許し

許せないと感じた時、人間は怒りを感じていることが多いです。だからといって、怒りというものを抑える必要はありません。頭にきたなら、その時にせいぜい目一杯怒れば良いのです。ただ、「怒りとカレーは一晩寝かせろ」と言いますが、一晩熟成することで人は怒りを客観視し、忘れることができます。ただその時、許せないという思いも、一緒に整理しないといけません。そうしないと、なぜ許せないのかわからないけど、許さないという思いだけが取り残されることになりかねません。怒りを忘れたなら、許せないというちっぽけな感情も、一緒に葬り去りましょう。

完全に与える

「許す」という言葉は、英語でforgiveです。「許せる」は、can forgive、「許してやる」は、will forgiveです。そして、forとgiveに分解すると、「完全に」+「与える」となります。つまり、許すということは、完全に与えるということです。そして、それにcanやwillをつければ、自分の意志によりそれができるということです。ですから、つまらないしがらみやプライドを捨て、自分に正面から向き合い、弱くとも本当の自分を直視する。そうすることで、私たちは完全に許しを与えることができ、次のステップに進むことができるのではないでしょうか。

 

 

 

なんと、なるほど、ごもっとも(2024/2/21)

ヨイショの効用

「なんと、なるほど、ごもっとも」、「さすが、ごりっば、日本一」、「いえいえ、まだまだ、とんでもない」、これはヨイショの三段活用といわれています。会社員時代、私自身が客先に使っていた記憶がありますし、いろいろな方たちから使われたことも多々ありました。たいていの方は、ヨイショされているとわかっていても悪い気はしません。逆に「相手のためだから」と思い、はじめから厳しい否定から入ると、たいてい嫌がられ煙たがられます。人間分かっていても、否定されるよりヨイショされた方が気分が良くなります。それはなんでなのでしょうか。

ほめられたいという欲求

人間が集団で生きていくうえで、ほめられたいという欲求はとても必要で大切なことなのではないでしょうか。別な言い方をすれば承認欲求ということになりますが、もっとシンプルに自分自身を認めて欲しい。集団の中で「自分はここにいますよ、そして頑張っていますよ」とアピールしたい。そういう頑張っている自分を「すごいね、えらいね」とほめてもらいたい。あまのじゃくでなければ、ほめられることで元気が出ます。そもそも人間というものは、「ほめられて元気を出したい」のではないでしょうか。こう書くと、なんだかわんこちゃんたちと同じようですが、それが集団で暮らす動物の自然な欲求なのではないでしょうか。また、ほめるというと、幼児教育における「ほめて伸ばす」ということなのか、と感じる方も多いと思います。別の記事にも書きましたが、人間は幼児期だけでなく、青年になっても、中年になっても、いわんや老人期になっても、いつだって同じようにほめてもらいたいのではないでしょうか。確かに、幼児のように褒められて、やる気がモリモリ出て頑張ろうというパワー、というか勢いは多少衰えるかもしれませんが、どんなに年をとっても人はやはりほめられたいのです。

あんたは偉い

古い話になりますが、第二次大戦終戦後フィリピンルパング島に30年間隠れ住んでいた小野田寛郎さんという方がいらっしゃいます。とうとう発見されて帰国を果たした際、お母さんがおっしゃった言葉は「よう生きて帰ってきた、あんたは偉い」でした。シンプルな誉め言葉ほど、心に響くものはないと思います。ヨイショではなく、真剣にほめることの大事さを肝に銘じたい。どうせほめるなら、ぐちゃぐちゃと余計なことは言わない、まずは真剣にほめる。必要なら、ほめた後に注文は付けるようにする。家族だから、親しい間柄だから、年だから、と言い訳してあいまいにしてごまかさない。凄ければすごい、よくできたね、と心を込め恥ずかしがらずにほめる。それが、人間関係を上手にやっていくには、大切なことなのではないでしょうか。

コミュニケーション手段として

「なんと、なるほど、ごもっとも」、「さすが、ごりっば、日本一」、「いえいえ、まだまだ、とんでもない」。確かに歯の浮くようなヨイショ言葉ですが、考えようによってはこれも、ひとつの立派なコミュニケーション手段なのではないかしら、とも感じます。こういう言葉を恥ずかしがらずに使うことによって、相手に心を開いてもらう、そこからコミュニケーションが始まる、ということもありそうです。本来は、腹黒い目的のためのヨイショ言葉なのかもしれませんが、それを使う人の考え方ひとつによっては、それをプラスの方向に生かすこともできるのでは、と思います。たまには、自分に最も身近な人、例えば奥様に対して、こういう歯の浮くようなヨイショをしてみてはいかがでしょうか。勇気はいりますけどね。。。

役に立つよろこび(2014/2/14)

新聞記事を読んで

今日は2/14バレンタインデーの日ですが、私にとって長閑な暖かな日という以外、特に変わりはないようです。さて、今朝の朝日新聞の記事を読んで、ちょっと考えさせられたことがあり、意見を書かせて頂きました。

記事は、私の視点というコラムに「「受け止められる」体験を」という題で、東京家政大学短期大学部准教授の榎本眞実氏がお書きになったものです。

『「オレは役に立っていない」。筆者が幼稚園の担任をされていた頃に、学芸会の物語を子供たちと考えていた時、一人の五歳児!がつぶやいた言葉です。まず、五歳児が役に立っていないという概念を持つことに驚き、そして反省したそうです。子供にとって役に立つ喜びとは、自分の力を発揮したことで相手が喜ぶ、困っている相手を助けることができて嬉しい、と感じること。相手との関係が結ばれ、そこから得られる満足感、達成感を感じることであり、「一人一人がかけがえのない存在であること」をしっかりと心に刻み、大人が折に触れてメッセージとして伝えていくことが大切。そうした小さな積み重ねが、揺らぐことのない「役に立つ喜び」につながっていくのではないだろうか。』という内容です。

 

組織の一員として

 これは幼稚園児の話ですが、社会の中の組織の中の一人として置き換えてみても、そのまま通用しそうです。会社や組織の中で、役に立たないつらさや自信のなさを感じる人たち、そういった自己肯定感の低い方たちも同じではないでしょうか。生物として集団で生きることを選択した人間というものは、その一員として生きていくためには、常に自己肯定感をブラッシュアップしながら、持ち続けることが大事なのではないか、ということに気が付かされます。幼少期ももちろん大事ですが、人間は大人になっても自分を認めてもらいたいのです。ですから、会社組織にいる皆さんたちには是非それを忘れないで欲しいと思います。そして、その組織のリーダーの方たちですら、自分が進もうとしている方向が正しいのか否か、常に自己肯定感に悩まされ続けていると思います。「子供ではないのだ」と怒られるかもしれませんが、上下の関係なく、周りの人から声に出して「役に立っているよ」というメッセージが発信され、それを受け取れることがどんな心強いことか、ということを忘れないでほしい、と思います。

卒業した人間として

 翻って、属する組織の一員ではなくなった、卒業した人間からしますと、その思いはさらに顕著です。周りからは、これまで頑張ったのだから少しゆっくりしてください、と親切に言って頂きますものの、まだ慣れていないせいもあり、もうあなたは結構です、と変に聞こえてしまうようなやっかい者です。これは、何かに貢献しなければいけないという思いや、存在を認めてもらいたいという思い、つまりは達成感や満足感への渇望の裏返しなのでしょう。組織の一員であれば、あえて構えなくても自分の居場所のようなものが構築できていて、そこでそれなりに達成感や満足感を得ることはできました。さらに、これまで幼き頃からこの間までずっと何十年間も、周りからなんだかんだと大切な人間として扱ってもらってきた、その反動かもしれません。その結果、世の中から自分という存在を忘れられる、という焦りみたいなものが生まれているのでしょうか。また、誰からも声をかけてもらえなくなる、というような恐怖を感じているのでしょうか。でもそれは、組織の衣を被って必要以上に肥大化していた過去の自分と今を比較するから、そう感じるのかもしれません。過去は過去でしかありませんのにね。

初心に帰って

 この記事を読み、相手から喜ばれる役に立つ喜びというものは、まさに自分の心持ち一つなんだな、ということに改めて気付かされました。ですから、幼き頃のように初心に帰り、人の目をいちいち気にせず、鯱張った鎧を脱ぎ捨て、もっとシンプルに生きてみることが大事なんだと。最近、ボランティアで美術館で来館者に作品に対する説明をやっているのですが、自分の拙い説明でも、ちゃんと聞いてくれ感謝してくれる方たちが、現にそこにいらっしゃいます。自分の中でこれはひとつのサプライズであり、自分が勉強して仕入れた知識が人の役に立ったという喜びでもあり、また相手の予想外のリアクションは新鮮な驚きです。組織というブランドに頼ることなく、素の個として感謝されることの喜びというものを、もっと純粋に楽しんでいければいいな、と思います。そして、「オレは役に立っていない」などと感じないようにいきたいものです。

悲しき政治に思うこと(2024/2/7)

世界がキナ臭い

最近新聞を読むと、政治に絡むキナ臭い話題が満載で、何とも嫌な気分になることが多くなりました。今年は、世界的にも政治の世界の変革期と言われていて、台湾の総統選挙に始まり、アメリカやロシアの大統領選挙などが控えています。二年目になったウクライナ侵攻や、同じく終わりが見えないガザ侵攻、中東のイラン問題、中国による台湾統一問題など、まだまだ国際的な紛争が絶えません。

裏金問題

一方日本では、自民党の裏金問題で国政がガタついています。どうみても、良き政治のために頂いたお金を不正にくすねた、と言われてもしようがないと思うような内容です。「私は少ないから問題ない、勘違いだった、事務処理を間違った」とかいって、政治資金報告書に修正記載すればそれで無税って、おかしくない?、と庶民は感じてしまいます。さらには、サル山のボスじゃないけど、そんな人が「派閥は政策集団なのだ」とかいって、裏金が作りやすい隠れ蓑をそのままに、別の看板に架け替えて済まそうとする図々しさには、あきれてしまいます。それでは、これまで派閥さんたちは、何か独自の法案の提出でもしたことがあるのでしょうか。言い方は良くないのですが、徒党を組んで数の力で何とかしよう、というやり方は、ヤが付く無法の集団と本質的に何ら変わりがないようにも見え、強弁すればするほど、不細工な喜劇のように見えてしまいます。

信仰集団問題

さらには、昨年問題となった、韓国発祥の信仰集団と政治との関係に関わる問題もあります。赤狩りではないけど、政治家一人一人に過去の関わりを確認して、少しでも関わりがあった政治家は役職から外して、ようやく一段落か、と思われていました。それが、ここにきてトップに問題があった、とのです。信仰集団内部の様々な問題に対して、まさに解散命令を出そうとしている省庁のトップたる大臣そのものが、過去にその集団との政策協定なるものにサインしていて、選挙のお手伝いまでしてもらっていた、というのです。昨年の赤狩りヒアリング時には「関係なし」と報告しておき、今となって「いろいろな人と会っているので記憶にない」とおっしゃっているそうです。信仰集団の方々の肩を持つ訳ではありませんが、選挙の時に電話作戦などでさんざんお世話になっておきながら、後になってそんなことは知らない、と言われ、挙句の果てに解散命令まで出すという神経構造に、あきれて物も言えないのではないでしょうか。翻って、そういう政治家は、私たち有権者=政治家を選ぶ立場の人たちに対し、いつの日にか、そんなのは記憶にない、約束など知らない、と手のひら返しすることがある、ということです。

ポピュリズムの台頭

今の時代、日本だけでなく、世界的にポピュリズムが台頭している時代です。ポピュリズムと民主主義の大きな違いは、少数者の意見に対する扱いの違いです。ポピュリズムは、大衆迎合主義ともいわれますが、支持が全体の半分を一人でも超えればよい、それですべてを代表することになります。一方民主主義は、過半を取ったとしても、少数者の意見にも尊重するというところが大きく違います。そもそも今は、政治に対する不信が根底にあります。ですから、それを打破するような政治家が熱望され、そうなりたい政治家はわかりやすい仮想敵を作り出し、その敵に向かって皆で一体となって立ち向かう熱量で支持を拡大していきます。ただ、その結果メジャーとなった瞬間、少数者の意見は抹殺され、本質的な問題は仮想敵の陰に隠れて先送りにされ、また、昔来た道をたどることになってしまいます。いまはネット社会として、様々な情報が瞬時に共有される時代になってきていますが、一方でそんな情報化社会から取り残されている人々も少なくはない、という情報密度がアンパンランスになっている時代です。ですから、少数意見というものも、本当に多岐に渡って多くなってしまっているので、民主的に解決しようとすると全員に満足感が少なく、それが政治不信に陥りやすいのだと思います。

政治不信の種

ただ、そんな悪循環をどこかで打破しなければ、日本や世界はどうなってしまうのか、本当に心配です。ポピュリズムは、経済の変動期などに勃興しやすいといわれており、これは経済の仕組みも含めた世界の大変革期の一端なのかもしれません。とはいえ、今の日本の政治家たちがばらまく政治不信の種というものは、本当に何とかしなくてはなりません。自分たちのアイデンティティーを、自ら否定するような行動をとっていることにまるで気が付いていないようです。たぶん一般人とは、そもそもの論理的な考えの組み立て方が違うのでしょうね。

サル山の論理は通らないということ

でも、どんな専門家でも気を付けなければいけないのは、自分だけにわかる考えや論理に酔わないこと、です。普通の人が聞いて「うん、そうだね」と思われることが、当たり前だけど正解なんだ、ということ。そんな当たり前をもって、私たちは若い方々の政治不信、無関心を食い止めて、参加を促していかないけません。少子化社会と合わせ、このままでは日本がやばい、と危惧してしまう今日この頃です。

定年して一か月経ちました(2024/1/31)

定年を迎えて一か月が経ちました。なんだかんだと出かけたり、細々とした用事を片付けたりしているうちに、あっという間に時間が経ったように感じます。ですので、まだ今のところは、ヒマで困るということはありません。今朝は、一か月が経過したところで、改めて「定年」というものについて考えてみました。

 

定年制度とは

日本の定年制度は明治時代から始まった、といわれています。当時の平均寿命が男子43才でしたが、定年制の記録のある砲兵工廠の職工の定年は55才だったとのことです。これは、死んでも働け、ということではなく、終身雇用ですよ、という意味合いの定年制でした。明治には様々な産業が勃興していたので、人手の定着を目的に設定されたようです。その後、二度の世界大戦を経て、日本は高度成長期に入ります。平均寿命も、栄養状態が良くなり医療環境も整ってきたことから年々伸びました。ところが、定年は相変わらず55才のままでした。そこには雇用側の人員整理の目的もあり、一方では労働者側の雇用保障確保の意味合いもあったようです。その後、日本の年金制度が徐々に怪しくなり、支給開始年齢が60才に引き上げられました。そこで、政府自ら定年延長の音頭を取り、1998年には60才未満の定年が禁止されました。その後の流れは皆さんご存じの通り、さらに年金の支給開始年齢の引き上げが開始され、労働者の絶対数不足もあって、政府は70才までの雇用維持を提唱するようになっています。

海外の定年は

海外の定年制の状況をみてみます。アメリカでは年齢による雇用の差別を禁止し、一部の職種を除き定年制は禁止されています。また、イギリスやドイツ、スイス等も定年制度はありません。ただし、これらの国は年金支給開始年齢を67才以上に引き上げる予定とのことです。お隣の韓国は60才、シンガポールは63才、中国の男性60才、女性は55才か50才となっており、欧米諸国とアジアとでは大きく定年年齢が異なります。

とはいえ、欧米諸国の方たちをみてわかる通り、だからといって皆がいつまでも働き続けるというわけではなく、人生のリタイアメントの時期は自分で決める、ということなのだと思います。お上がいてもいいよ、という年齢までほぼ自動的に勤め上げることが当たり前の日本とは、考え方が大きく異なります。

定年とは何か

さて、「いてもいいよ」と言われるまで会社に在籍させていただいた私ですが、改めてその定年というものについて考えてみました。

「定年」は「停年」とも表します。定年制度は、一定年齢に達したら雇用を終了する制度ですが、「停年」と書かれるとなんだか微妙な気持ちになります。確かに、雇用側からすれば、「雇用を停止する年齢」という意味合いなのでしょうが、その年齢になった人間からすると「人生を停止する年」とも聞こえてしまいます。それは、これまでの人生を、あまりにも会社や仕事優先で生きてきたからこそ、そう感じるのかもしれません。ですから、停止された後のことは自分でどうしていいのかわからない、となってしまうのでしょうね。

定年に諦念してしまうのか

そうなると、定年は人生の「底年」や「低年」として「諦念」してしまいます。定年が人生の中でもっとも低い底であり、終了年度として、あきらめの境地と入ってしまいそうです。このあとは何もかもが付け足しで、あとは死ぬまで付録のような人生、と観念しなければいけないのでしょうか。そんな考えは悲しすぎます、私はしたくはありません。逆に、定年したから好きなことをいつ何でもしてもよい、と言われても、それは会社時代に我慢してきたことの反動であり、結局は自分の人生において、会社が主、その他が従、と暗に認めているようにも聞こえてしまいます。それは、あまりにも長い間会社人間だったために全身に染み付いてしまったものが、簡単には払しょく、忘れる去ることができないから、そう皮肉な目で捉えてしまうのかもしれませんが。

抵うことを忘れない

私はそうではなく、この節目を「丁年」=「働き盛りの男子」として、様々なことに抵抗していく「抵年」として、また、これまでの人生を訂正していく「訂年」として生きていきたいと思います。人生の中で、様々なことに抗って生きていくことは面倒くさいことではありますが、そこが実はとても大切なことではないでしょうか。「いいわ、いいわ」のオジサンも悪くはないのですが、常に何事でも「いつも通り」ではなく、いちいちちゃんと自分の頭で考えて、これは変だと思えば面倒がらずにこだわって変える、そして人生を訂正していく。そんな当たり前のことに、年齢を言い訳にして逃げないで向き合っていく、それが「抵年」であり「訂年」ではないでしょうか。(ただし、つまらぬことや些細なことに拘るような、訳知り顔の頑固爺いにはなりたくないですね、いつまでもサラッといきたい。)

まずは向き合う

当たり前といえば当たり前のことになのに、一つひとつ今まできちんと向き合えていなかったことは、本当に山ほどあります。これまで「仕事だから」の一言で逃げてきて、取り組まなかったこともいっぱいあります。まずは、それらにひとつずつちゃんと向き合っていこうと考えた、春のような麗らかな今日の朝です。(一枚目の挿入写真を夕日とみるか、朝日とみるか、ですね)

 

人間とは悲しきもの(2024/1/29)

新聞によると

50年前に起きた、1974年の連続企業爆破事件に関与した疑いで、指名手配されていた人物と名乗る方が、本日お亡くなりになりました。新聞報道などによると、偽名を使い、神奈川県内の土木会社に40年間にわたり住み込んで働いていた、とのこと。ことの発端は、道で動けなくなっていたところを通行人に手助けしてもらい、救急車で入院したものの重篤な状態で、本人から実は本名を桐島といい、本名で死にたいと告げられた、ということです。「うっちー」と呼ばれ、たまには近くの飲食店でお酒も飲み、1960年代のロックが好きで、DJイベントがあれば踊っていた、と今朝の朝日新聞記事に書かれていました。(この報道の通り、この方が本当に桐島だったとして、本文は書いています)

 

若気の至り

保険やパスポートなど自分を証明するものを一切持たず、日々の糧を細々と得て、たまに発散するだけの人生を少なくとも40年間過ごしていたようです。その人生を想像すると、なんともやりきれないものがあります。私も、若い頃に大人や世間に対し、いろいろなことに不満を持ち、それをどうぶつけていいのかわからず、鬱屈した思いを抱いたことはありました。大学生の時、自分のちょっと上の先輩たちの中で、過激派と言われてる方たちは、ほんの些細なきっかけからそういう組織に組み入れられていました。組織に入るだけならまだ良いのですが、彼などは若気の至りでは済まされないことを考え、それを止める者はおらず、むしろグループの中で我先に実行に移していく、という恐ろしい悪循環に陥っていったのではないでしょうか。

大きな過ち

ただ、一瞬の気の迷いだとしても、それが数多くの方の人生を奪い、捻じ曲げてしまった事実は変えられません。どんなに悔いても悔い切れるものではありません。未だに、事件の後遺症で苦しんでいらっしゃる方もいます。何というとんでもない大きな過ちでしょうか。彼は50年間何を考えていたのでしょうか。本当に革命の再起を願っていたのでしょうか。それとも、ただただ見つかるのが怖くて隠れていたのでしょうか。

一人では生きられない

彼の50年間のうち、少なくとも新聞記事にある40年間は、彼が周りの人間に実際は支えられていた、という事実をどう感じていたのでしょうか。自分ではなるべく人と接しないように生きてきたつもりだったのでしょうが、仕事先やその関係する方々、たまに訪れた飲食店の方達、具合が悪くなった時に道端で手を貸してくれた通行人の方々、救急車や病院の方たち・・・数え上げればものすごい数の人たちが、彼が生きていくことを支えてくれていたのです。その方達は、彼が若かりし頃に人民の敵、資本主義の手先と呼んで蔑んでいた人達の一部です。

人間というものの悲しさ

そんな方達を無差別に傷つけ苦しめておき、一方でそのコミュニティに助けられて生き延びる、そして最後には本名で死にたいと名乗りを上げる・・・なんて自分勝手なのでしょうか。本当に、人間とは切なく悲しいものなのだ、と感じました。そして、知ってか知らずか50年間そんな思いを抱きつづけて生きた彼の人生というものに、私は驚きを隠せません。最後に名乗るなら、彼にとってこれまで何のため逃避行だったのでしょうか。元に帰りたいのなら、どうしてもっともっと早く名乗りを上げなかったの。どうして、未だに苦しみが続いている方達が少しでも楽に、と考えなかったの・・・

今回の報道で感じたこと

人間誰しも間違いは起こす、とんでもない間違いも起こす、起こしてしまった時は逃げてもしようがない、自分が引き起こしことならば過ちを償うしかない、逃げれば逃げるほど相手にさらに苦しい思いをさせるだけ。

翻って、だからどんなにカッとなっても、決して人を傷つけたり、悲しむようなことをしてはいけないということ。

そしてもう一つ、どんな自分でも人間社会のコミュニティに助けられている、という事実。自分は関係ないつもりでも、やはりどこかで誰かに助けて頂いて生かされている。だから、自分もコミュニティの一員として、人間に対する慈しみを忘れず、できることをやる。大それたことをしろというのではなく、当たり前にすべきと思うことをする、ということがいかに大切なのか、ということでした。

急がない力(2024/2号)

今月は「急がない力」というお題で愚考を述べさせて頂きます。

責任感の強い方ほど、業務を任せられると早はやと動いてしまいますが、結局は中途半端になりがちです。段取り八分といいます。急ぐべき時に立ち止まるのは勇気がいることですが、一旦自分の時間を預かってみましょう。焦ってしまえば、時機を逃す以前の問題となります。肝を据えて急がない力を発揮しましょう。

業務の段取り

どんな立場の方でも何らかの業務を任されたとき、たいていの方はその業務の段取りを気にします。どんな手はずになっているのか、そのための資材や機材の手配、準備はされているのか、なされていないのなら自分で必要な手順を考え、用意しなければならない。お一人の業務でもそうですから、複数以上で取り組む業務となればなおさら段取りが大事です。また、業務には必ず期限がありますから、逆算すれば一刻も早く段取りに掛からなければならない、という気持ちになります。特に、責任感の強い方にはその傾向が強いかもしれません。自分の指示を待っているであろう皆さんに迷惑をかけてもいけない、と考えてしまいます。また、積極的でアクティブな方も同じかもしれません。ウダウダと失敗ばかり考えて心配しているぐらいなら、まずは走り出そう、そして走りながら考えればいいじゃないか、となります。動かない自分に我慢でなくなり、動き出すことだけに満足する、という自己中な考えからきているのかもしれません。

急いては事を仕損じる

ただ、往々にしてそういう場合に失敗しやすいのが、半煮え状態の何となく思い浮かんだ段取りで、隠れたリスクを想定できていないことです。そうして突き進めば、最後には後戻りできない状態になり、結局はもう一度一からリスタートとなってしまい、期限に間に合わない、若しくは間に合っても大した成果にならない、という結末です。「急いては事を仕損じる」ってわかっているのだけど、なぜかやってしまうのですよね。・・・

段取り八分

土建業界の用語に「段取り八分」という言葉があります。一つの仕事をやり遂げるためには事前の段取りがとても重要で、その段取りがきっちりと出来上がれば、その時点で全体の八割が完成したのと同じ、というような意味です。そのためには、仕事が大きければ大きいほど、業者の皆さんは皆さんの目に触れないところで、事前の段取りのための各種の検討や計画を綿密にされます。その際大事なのは、隠れたリスクの発見とその対処策、突発事態における次善、次々善策の立案です。結局は、そんな計画は無駄になるかもしれませんが、そういった様々な検討がなされているからこそ、本番では怖いものはなく、結果的にスムーズに工事は進行するのです。ラッキーなポテンヒットはないのです。傍から見ていると、その間何にもしていないように見え、何で一日も早く工事に着手しないのかしら、とイラっとしてしまうぐらいです。

立ち止まる勇気

仕事の種類が異なれば、同じように時間をとってじっくりと検討する、ということはできないかもしれません。ただ、「急がなければいけない」という部分だけに目を向けてしまうと、前出のようになってしまいますから、一旦立ち止まるという勇気が必要になります。決めなければならない立場の方が、決める前に立ち止まるのはとても勇気がいります。ただ、「急がば回れ」と言います。あえて急がないということは、実はとてもすごい能力なのです。そのまま忘れてしまっては責任放棄となってしまいますが、一旦放っておくことで、そこにまた新しいアイデアが沸いてきます。ですから、勇気をもって放っておくことができるか否か、がとても重要なのです。

時機を逸するという心配

ただ、そうやって放っておくと、本来の時機を逃してしまうのではないか、と責任感のある方は焦ってしまいます。確かに「急がないのは力なのだ」とか開き直って、いつまでものんべんだらりと逃げ回っていれば、肝心な時は通り過ぎて行ってしまうでしょう。ですが、「時機は必ずくる、焦るな」と、肝を据えることも大事ではないでしょうか。オロオロ、アセアセしてしまうと、何も考えることができないままに、ただ単に無駄な時間を過ごすことになってしまいます。一旦は、自分の時間なのだから自分で時間を預かって、その間じっくりと段取りを考えてみてはいかがでしょうか。結局は、何も新しい考えが浮かばないかもしれませんが、それで良いのです。急がない力とは、自分の時間を他人のためではなく自分のために使うこと、なのですから。

本当の時機とはいつか

では、時機が来るから待てと言われても、その時機とはいつのことなのでしょうか。ボヤボヤしていて遅きに失したりしないのか。確かに後になってみれば、あの時もう少し早く動いておけば良かった、ということは多々起こります。それはそうだと思います。残念ながら、業務はゲームや歴史ではないので、遡って検証することや、やり直すことはできません。ですから、本当の意味の正解はないのかもしれません。試験ではありませんから、絶対的な答えはない、と割り切るしかないのです。

急ぐばかりが能ではない

そんな中、私たちはただやみくもに走り回らず、一旦立ち止まって考え、そして止まらずにまた歩み出す、ということを自ら心掛けるしかありません。そこには、個人差があるでしょうが、決して急ぐばかりが能ではない、急がないという力もあることを理解しましょう。世の中は、ウサギのほかにカメもいることを。