今日の関東地方は、まるで梅雨入りしたかのような大雨です。きっと植物たちは喜んでいるでしょうが、それ以上に雑草くんたちがグングンと勢いづいてしまいます。一日に1m以上伸びる葛やヤブガラシさんたちのご活躍が、とても心配になります。
事故発生
さて我が家では、五年前の孫の里帰り出産以来、生協の宅配をお願いしています。毎週月曜日が配達日で、昨日は私が受け取りました。開封していったところ、カップ麺のフタのところに穴が開いてしまっていました。外装のビニールは破けていませんでしたが、何か突起物でも当たったのでしょうか、中の紙製のフタが破けています。配達中の事故なのか発送時の事故なのかわかりませんが、いずれにせよ消費者としては交換してもらいたいところです。
ものすごく怒る人がいるんだろうね
仕事から帰ったパートナーに話をしたところ、「こんなの、ものすごく怒る人いるんだろうね」と冷静です。確かに最近はカスハラといって、些細なことにも食ってかかる人が多いご時世です。きっと、こんなものには親の仇状態で激怒するんでしょうね。
「わずか百円のものの交換に、どれだけみんなの手間がかかるのかわかる?」と続きます。「結構面倒で大変なんだよね。」なるほど確かに。
食べられればいいじゃない
「それにどうせ誰かが食べなければいけないし、すぐに食べればいいじゃない」と、きました。
ウーム、まさにその通り。
こっちから相手に連絡して状況を説明して、商品を送り返して、相手からは状況を確認されて、たぶんお詫びされて、新しいものを送りなおされて、と双方ともに一定の手間と時間を要します。なにより、そもそもこれをお腹に入れるのに、フタの穴の有無は関係ありません、フタを食べる訳ではないので。賞味期限目一杯、長い期間保存するならこの状態は多少心配ですが、サッサと食べるなら何の問題もない。何よりも、これは食べ物として欠陥品ではないのです。食べられればいい、そんなパートナーのサラッとした一言は、権利意識に凝り固まった自分にはガーンときた衝撃の一言でした。
捨てられる理由は
考えてみれば、曲がったきゅうり、大きさの不ぞろいの茄子など、世の中には食べることに本質的に関係ないところで取捨選択の判断がされてしまい、廃棄される食べ物が本当に多いように感じます。一年前に地元の駅前に開業した八百屋さんは、そんな商品を数多くそろえています。ワゴン内のもったいないシリーズなどは、規格外の玉ねぎがゴロゴロ大量に入って150円とか、何でこれが普通に売れないのか、といつも驚くばかりです。
そもそもそれは何のために
世の中SDG'sが大流行りで、SDG'sのバッジを背広の胸に誇らしげに付けているサラリーマンをよくお見掛けします。それも悪くはないのですが、それよりもっと足元から、自分ができることから、サラッとやった方がカッコいいかな。「SDG'sに取り組む」とか言うと、いかにもやっている感満載で七面倒くさいので、もっと気軽に。何よりも、本質を見失わないことが大切です。これまで通りにという前例主義にとらわれず、周りが見ているからというええカッコしいでもなく。「そもそもそれは何のために」という本質の見極めが大事ではないでしょうか。
翻って、できうれば何事に対してもすべからく、「相手がこうでなければいけない、こうしなければいけない」という権利意識より、「自分がどうあるべきか、どうできるか」という義務意識を優先することを大事にしなければいけないな、と改めて感じた出来事でした。