今回(2019/12)は、職場などにおける人間関係について考えてみたいと思います。
自分が自分のために生きなくて、いったい誰が自分のために生きてくれるのでしょうか。
他人に惑わされずに、自分の最善の道を行く一歩を踏み出す勇気を持ちませんか。
職場における人間関係の悩み
皆さん、多かれ少なかれ、職場における上司や同僚、部下、或いはお客様との人間関係に悩みがあると思います。ただ、いろいろと不満があっても、このままでいることが楽であり、安心できますので、とりあえず今のままで我慢しているという方も多いのではないでしょうか。他人から嫌われて対人関係の中で傷つくことを恐れて、むしろ対人関係で傷つかないことを目的にして行動してしまっているかもしれません。
何かが変わることや何かを変えることには苦みや苦しみを伴うため、どんな人間でも変えるということに大きな勇気がいります。
まさに、変わることに対する不安と変わらないことに対する不満の天秤ですね。
仕事ができない言い訳のためのお化け
しかしながら、仕事が上手くいかないのは、本当に「あの人がいるから仕事がはかどらない」からなのでしょうか、ひょっとすると、「本当は仕事がしたくないから嫌な相手を作り出して」いることはありませんか?これは極論かもしれませんが、仕事ができない、仕事をしないという言い訳のための「お化け」を作りだしているということはないでしょうか。
自分がやることと他人がやること
それは、本来自分がやるべきことと他人がやることを、ごちゃ混ぜにしてしまっているからかもしれません。他人の領域や課題にまで首を突っ込んでしまい、他人が自身でその責任の範囲の中で解決しなければならない課題にまで付き合ってしまっていませんか。
見返りと評価
また、自分がこれだけ尽くしているのに何もしてくれないのはおかしい、自分がしていることをちっとも認めてくれない、と他人の見返りや評価を常に求めていませんか。
「他人が評価する」ということは、当たり前のことですが「他人がする」ことで、「自分」ではどうすることもできません。自分ではどうすることができないことに対してヤキモキしてもしようがないことです。
自分は、自分の最善の道を行けば良いのではないでしょうか。
他人のために生きているわけではない
私たちは他人の期待を満たすために生きている訳ではなく、また仕事している訳でもありません、自分のために生きて、そして仕事をしているのです。
【自分が自分のために生きなくて、一体誰が自分のために生きてくれるのか】(ユダヤ教の言葉) ・・・ 何々が足りない、何々が与えられていない、何々しか与えられていない、と現状を嘆いて、それに固執しても何も変わりません。「与える」のは他人が行うことであり、それも自分ではどうにもできないので、自分は「与えられたもの」をどう使うかではないでしょうか。
ギブアンドテイクとは
また、「評価や見返り」ということの考え方のもとには、上下関係があります。
皆さんはgive&take(ギブアンドテイク) に見返りというものを求めていませんか、そもそもgiveしてtakeではなく、takeされなければgiveしないのですか。
( 本来、give&takeは「公平で自由なやりとり、互譲の精神」のこと )
いつも、誰々より上だ下だ、やったやられた・・・と、そういうもの(=他人の目)に縛られていたら、自分が自分らしく生きることが叶わなくなりませんか。
他人から自由になる
人はみな同じではありませんが平等です。もっと他人から嫌われることを恐れずに自由になりませんか。役職や年齢、立場の上下に囚われず、主張すべきは堂々と主張し、感謝すべきはきちんと感謝する、そういった縦の関係に囚われない、横の関係を構築しようとしていくことで職場の人間関係はだんだん変わっていくのではないでしょうか。
過去を嘆いても元には戻りません。未来を期待しても今が変わらなければ未来は変わりません。他人を期待してもそれは他人が決めることですから、自分の思い通りにはなりません。誰かが始めることを待つのではなく、今この時、自分が始めることが必要ではないですか。その一歩を踏み出す勇気を持ちませんか。そして、他人に嫌われることを恐れないでください。
恐れずに一歩踏み出す
「あなたの顔を気にしているのはあなたしかいない」という言葉もあります、恐れずに一歩を踏み出してみましょう。・・・
さて、今回は少し極論気味になりましたが、どうか言葉足らずの文章の行間から当職の考えや趣旨を少しでもご理解いただけると幸いです。
それでは少し早いですが、皆さんにメリークリスマスの祝福をさせていただき、そして楽しい年越しを祈念しつつ、今年は終わりたいと思います。
来年は、皆様にとってもっともっと良い年になりますように。・・・