少し涼しくなりました
週末にかけて暑い日々が戻ってくる、との天気予報ですが、昨日から今日にかけては、涼しい風が吹いて、夜などは少し寒いぐらいです。日中窓を開放して、湿度50%ちょっと、室温も30℃以下というところですから、爽やかといっても良いと思います。おかげさまで朝のウォーキングは、少しぐらい寝坊しても、まだまだ涼しくので快適でした。
あいさつをしませんか
前回「あいさつをしませんか」と書かせて頂いたのですが、今回引き続きもう少し書かせてもらいます。
ふと、日本人の場合、日常のあいさつはお互いわかっていることにして、勝手に省略しあっているのかもしれない、と思いました。災害が発生したりすると、普段はあいさつもしない都会の方でも、積極的に片づけを手伝い、ボランティア活動をしています。そういう場では、きっと皆さんあいさつもされるのでしょう。なんか不思議ですよね。ボランティアをしている時は、一種の高揚感みたいなものが影響しているのでしょうか。普段とのギャップが著しく、じゃなんで普段からあいさつしないのかしら、って思ってしまいます。
朝のウォーキングであいさつする人
私のいつもの朝のウォーキングは、たいてい海沿いのプロムナード1.64kmを往復するコースです。このプロムナードにはいろいろな人がきています。朝からダッシュで本格的に走る人、何とかかんとかようやく走っている人、散歩しているおじいさんやおばあさん、一人もいれば、夫婦もいれば、おばさん同士もいます。ワンコのお散歩や釣り人も多く見かけます。たいてい私は六時台ですので、来ているメンバーも結構同じです。そんな中、私が怖い顔して歩いているからかもしれませんが、あいさつを交わすのは何人もいらっしゃいません。チロッと見て、また今日もあいつ来ているな、ってぐらいかしら。言葉を交わす方は、一度交わすといつも声を掛け合うようになっています。目礼を交わしてくれるおばあちゃんなんかも同じです。
外人さんからのあいさつ
ただ一番の驚きは、日本人以外の方です。我が街にはいわゆる外人が多いのですが、彼らはかなりの確率であいさつをしてくれます。たどたどしい日本語だったり、ハイッだったり、頷いたりと様々ですが、初めてでもどんどんあいさつさするのには驚かされます。国民性の違いと言ってしまえばそれまでですが、たぶんあいさつというコミュニケーションの入り口を大切にしているのではないでしょうか。いろいろな民族や宗教の方がいる海外では、コミュニケーションの重要性は日本の比ではない、と思います。コミュニケーションをとって話し合いをしない限り、何も解決しない、というのが日常でしょう。話し合いに入る導入としてのあいさつというものが、私たちが思っている以上に大切なのではないでしょうか。
阿吽の呼吸の終わり
対して、日本は言わなくてもわかる「阿吽の呼吸」文化でやってきました。というか、「やってこられました」の方が正確かもしれません。阿吽の呼吸ができない奴は空気が読めない奴、として除外されてきました。ただ、グローバル化が進み、少子化、高齢化による労働人口の減少に対応しなければ、生き残っていくことすら難しくなってきた今日この頃です。特に保育や介護の現場の職員不足は深刻で、遅かれあらゆる職種で全面的に外国人を受け入れていかざるを得ないのではないでしょうか。隣りの韓国のように。そんな時、自ら意思を表明できない奥ゆかしい方は、置いて行かれるかもしれません。言わなくてもわかるだろう、こんなことぐらい察してくれ、何度も言わせるなよ。そんな年寄りはきっと置いていかれます。その都度、同じことであっても、いちいちきちんとコミュニケーションをとり意思表明することが、国際的なスタンダードなのだと思います。
あいさつはコミュニケーションの入り口
私も、これまで大丈夫だったからといって胡坐をかかずに、来る時代に対応していこうとしなければなりません。それは、例え恋人であっても、家族であっても、親しい友人であっても、職場の人であっても、近所の人であってもです。その入り口があいさつです。あいさつをすることで、コミュニケーションがスタートします。逆に言えば、あいさつがなければコミュニケーションはスタートしません、しごく当たり前ですが。
コミュニティでのコミュニケーション
世間とは没交渉で一人山籠もりされる予定の方は別として、そのコミュニティで生きている限り、最低限のコミュニケーションは取らなければいけない、と思います。日本は、南海トラフ地震のみならず様々な災害リスク山積みですが、いざという時のご近所さんはとても大切です。職場では、日々のルーチン業務以外の突発的なリスクがどこに潜んでいるかまったくわかりませんが、そんな時に結局頼りになるのは同じ職場の人たちです。そのための最低限のコミュニケーションとはあいさつではないか、と思います。あいさつぐらい交わす間柄とまったく初めてでは、いざという時に大きな差が出ます。
あいさつは自分の意思の表明
俺の事をわかってくれよ、と思うなら、まずは「あいさつ=自分の意思の表明」をしてみてはどうですか。自ら意思を表明せず何を考えているのかわからない、何かやろうとすると「自分もそう考えていた」。きっとそれは嘘でしょう。
間違ってもいいから、そして間違いを恐れずに、自らの意思を自分の外に出してみましょう。そのための第一歩があいさつではないでしょうか。